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2021-11-19

“角界の玉三郎”玉麒麟がジャパンプロレス入り 1987年8月17日【週刊プロレス】

86年夏場所の玉麒麟

 1987年8月17日、7月の名古屋場所を前に廃業した元大相撲十両の玉麒麟(押尾川部屋)のジャパンプロレス入りが発表された。

 3日前に都内ホテルで全日本プロレス・ジャイアント馬場との会談が確認された時点では、全日本プロレス入りが有力視されていたが、急転直下のジャパンプロレス入りだった。

 当時の記事によると、玉麒麟いわく「谷津(嘉章)さんのプロレススタイルが理想」とのこと。同年代で同じ相撲界から転向したジョン・テンタ、高木功へのライバル意識もあったようだ。ジャパン側としても薄い選手層に悩んでおり、当時26歳で“角界の玉三郎”と言われる“イケメン”の玉麒麟は願ってもない人材だった。

 玉麒麟は中学時代に陸上部で砲丸投げや走高跳びで体を鍛え、野球でも外野手として活躍し埼玉県大会3位。柔道初段とスポーツ万能。秩父農工時代は相撲部で2年の時にインターハイで個人3位に入賞。1980年初場所で初土俵。1986年夏場所十両昇進。最高位は西十両6枚目。

 玉麒麟は本名の田上明で1988年1月2日にデビューし、全日本プロレスで四天王の一角としてトップ戦線で活躍。三冠ヘビー級&世界タッグ王座、NOAHでGHCヘビー級王座を奪取。2013年12月に引退した。

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