日本だけにとどまらず、カナダ、パキスタン、アメリカ、メキシコでも闘いを繰り広げてきた“インドの狂虎”タイガー・ジェット・シンと“燃える闘魂”アントニオ猪木。大半が反則絡みで決着がついたとは到底思えず、2人の闘いはどこまでも続くかと思われていたが、1981年6月、シンが全日本プロレスに移籍したことで、何の前触れもなく突然、終止符が打たれた。両団体による熾烈な外国人引き抜き合戦がその背景にはあったが、シンが移籍を決断した理由はなんだったのだろうか? ◇ ◇ ◇
――81年6月、2人の闘いは幕を閉じました。あなたが全日本に移籍したからです。なぜ、全日本に移ったんですか?
シン 簡単にいえば、いろんなことが重なったから。そのなかでも一番の理由は、私が望む状況にならなかったからだ。それによってイノキを信じることができなくなったし、オフィスの人間も私のことを考えなくなった。そのひとつがアブドーラ・ザ・ブッチャー。ブッチャーがニュージャパンに来るというウワサを聞いたとき私は確かめた。だけど「心配するな」と言われたし、「ブッチャーと闘わせることはない」とも「ブッチャーとタッグを組ませることはない」とも聞いた。しかし日本に行ったら、ブッチャーがニュージャパンに来た。あのときの言葉は何だったのかと思った。このカンパニーは“ここまでして人生を授けてきた私にウソをつくのか”と思って精神的に大きなダメージを受けたし、ニュージャパンに失望した。裏切られたんだから、もうこのカンパニーのために何もしたくないと思ってニュージャパンから離れたんだ。カネのために動いたという人もいるかもしれないけど、決してそうじゃない。私はこれまでカネのために動いたこともないし、カネのことでもめたこともない。ほかのレスラーは「もっとカネをくれ」って言ったが、私はそんなこと言わなかった。それが私の生き方だし、イノキはそう思っていなくてもオフィスの人間がそう思っているのなら「サンキュー、グッバイ」と言うだけさ。
――確かに新日本はあなたが参戦しなかったら、トップ団体に成長しなかったでしょう。ある意味、あなたが新日本を救ったといえます。
シン 私が望むのは、私がかかわったカンパニーをナンバーワンに押し上げること。そのためなら協力は惜しまない。私の方からどうしたいというのはない。私の力が必要なところへ行くだけ。ニュージャパンへ行ったのは、そこにイノキというナンバーワンレスラーがいたからだし、ちょうど彼が好敵手を必要としており、私も好敵手を必要としていた。互いの目的が一致したから、ニュージャパンはナンバーワン・カンパニーに成長したと思う。私の力でそうなったことが、ニュージャパンでビッグマネーを稼いだことよりうれしいことだ。そしてイノキだけでなく、ニュージャパンにはサカグチ、(ストロング)コバヤシ、フジナミ……と素晴らしい選手がそろっている集団だったこともラッキーだった。闘いは厳しかったけど、私にとってニュージャパンは人生のなかでも素晴らしい時間を過ごせた時期だ。
――上田馬之助という最高のパートナーにも恵まれました。
シン その通り。ウエダさんを初めて知ったのは、彼がインターナショナル(国際プロレス)のリングに上がっていて、何らかのトラブルがあってニュージャパンに来ると聞いたとき。ブロンドの髪の日本人なんて初めてで、見た目からは型破りだと感じたけど彼の試合を見て真剣でハードな闘いをするレスラーだと思った。それからリング上に限らず、リング外でも付き合いがスタートしたわけだが、とてもハートのいい男だった。ツアーで顔を合わせるガイジンレスラーは多かったけど、気軽にあいさつはしても本当にハートで付き合った者はいない。ウエダさんは本当にリスペクトできるレスラーだ。だからウエダさんとはいいタッグチームになれたと思っている。
(つづく)
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