close

2021-12-14

ジャイアント馬場がアントニオ猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦を皮肉る「宮本武蔵は巌流島で闘った後…」【週刊プロレス】

談笑するジャイアント馬場

 1987年10月14日、都内・某ホテルにて、ジャイアント馬場が記者会見をおこなった。

 基本的には「世界最強タッグ決定リーグ戦」の参加外国人レスラーの発表。スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、アブドーラ・ザ・ブッチャーら総勢12選手だった。

 重要なポイントは日本人抗争から外国人主体に路線を切り替えてきたこと。同年、長州力らジャパンプロレス勢が新日本プロレスにUターンしたが、馬場はこんな見解を語った。

「泥の中に手を突っ込んでいたようなものだったな。この泥は早く払い落とす必要がある。長州がきた時だって、視聴率はそんなに上がらなかったもんな。地方に行くとあらためて気づくことがある。お客は体のでかい外国人レスラーに魅力を感じている。全日本プロレスのセールスポイントは昔から開放的な楽しさにあった。日本人抗争はギスギスしていかん…」

 そんな中、話題は10日前におこなわれたアントニオ猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦へ。馬場は待ってましたとばかりに「宮本武蔵は巌流島で闘った後、大人になったんだよな…」と皮肉った。

 馬場と猪木。全日本プロレスと新日本プロレス。プロレス界にはまだ大きな壁が存在した時代の話である。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事