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2021-12-10

マサ斎藤が旧世代軍離脱を表明! アントニオ猪木は巌流島決戦を提案!!【週刊プロレス】

マサ斎藤

 1987年9月7日、新日本プロレス京都大会前にマサ斎藤が現れた。

 斎藤は同年3月の大阪城ホール大会、4月の両国国技館大会、6月の両国大会におけるIWGP決勝とアントニオ猪木にシングルで敗北。その後、長州力らの決起があり、猪木とは共闘関係にあった。

 しかし、斎藤は「なんでオレがニュージャパンの体制に入らなければならないのか。アメリカで20年間、一匹狼として生き抜いてきたオレが日本に来たのは、そもそも猪木を倒すことが目的であり、今度こそ最後の勝負を挑みたい」と宣言。世代闘争よりも打倒・燃える闘魂を選んだのである。

 これに対して、猪木は「やってもいいよという気持ちではあるけど、オレから条件を出させてくれ。巌流島で闘うんだ。もちろん客は入れないし、文字通りの決闘だ」と返答。世紀の大一番が近づいていた。

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