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2021-12-07

【泣き笑いどすこい劇場】第5回「力士の憧れ 天皇賜盃」その2

優勝22回を誇る横綱貴乃花。21回目の優勝でもその重さになれることはなかった

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賜盃が消えた――。一部の力士の許されざる不正行為によって平成23年春場所が中止になった。野球賭博問題で揺れた前年の名古屋場所でも、相撲協会は天皇賜盃を辞退し、優勝した横綱白鵬はたった7分で終わった表彰式で、「天皇賜盃だけは頂きたかった」と号泣した。それからまだ半年あまりしか経っていないのに、今度は場所すらなくなったのだ。関係者の悔しさはいかばかりか。どうか、思い出して欲しい。力士たちがどんな思いであの賜盃を目指してがんばっているか。そこには絶対に禍々しいものはない。というワケで、今回のキーワードは場所中止というショッキングな出来事があったにもかかわらず、あえて“天皇賜盃”にしました。一日も早い場所の再開を信じて。

何回抱いても重い賜盃

天皇賜盃は29キロもある。想像以上に重いのだ。しかし、ときには、もっと重く感じられることもある。幕内最高優勝22回。横綱貴乃花は「平成の大横綱」と呼ばれているが、いつも順風満帆だったワケではない。

平成13(2001)年の初場所は、千秋楽、1差で追いかけていた横綱武蔵丸(現武蔵川親方)がここまで全勝の貴乃花を破って優勝決定戦にもつれ込んだ。右肩甲骨骨折や左手第4指脱臼、左ヒジ捻挫などで合わせて5場所も休場するなど、平成10年秋場所を最後に優勝から遠ざかっていた貴乃花にとって、2年4カ月、14場所ぶりに巡ってきたビッグチャンスだった。貴乃花にも、こういう低迷のときがあったのだ。

武蔵丸に負けた貴乃花は支度部屋に引き上げて来ると、まっすぐ入口奥に設置されているテッポウ柱に向かい、黙々とテッポウを始めた。いまでもあのときの重く、心を打つようなパーン、パーンという音が耳の奥に残っている。優勝決定戦までの10分間は、廻しを締め直し、マゲや呼吸を整え、心を落ち着かせる時間で、こんなことをする力士は珍しい。どうしてこんなことをしたのか、貴乃花は取組後、

「体を動かして、強くなりたい一心でやっていた頃を思い出していたんですよ。泣くも笑うもあと一番。とにかく持っているものを全部出し切ろうと思った」

と話している。つまり、雑念をふるい落とす時間に充てたのだ。

優勝決定戦のときの貴乃花の顔つきは、明らかに本割と違っていた。追いついて勢いづく武蔵丸に真っ向勝負を挑み、右四つ。再三、掬い投げにグラついたが、前に出ることを止めず、ついに土俵の外に運びだした。ようやく長いトンネルを脱したのだ。

時津風理事長から賜盃を受け取った貴乃花は、久しぶりに賜盃を抱いた感想を聞かれると、

「よかったですね。いいもんです」

と目を細くし、これが21回目の優勝にもかかわらず、

「重かったですよ」

と感極まった表情で付け加えた。復帰にかける思いが乗り移っていたからに違いない。

月刊『相撲』平成23年3月号掲載

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