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2022-01-05

最後に会った時に掛けられた「真実」の言葉とは? アントニオ猪木が語るジャイアント馬場<3>【週刊プロレス】

ジャイアント馬場とアントニオ猪木

 1999年1月31日、ジャイアント馬場が亡くなった。その訃報は各局のニュースで報じられるだけでなく特番が組まれた。それほどまで馬場は大きな存在だった。その前年4月4日に現役を引退していたアントニオ猪木は、ロサンゼルスでその報を聞いたが、最大のライバルが亡くなってどのような思いを抱いたのだろうか。
※週刊プロレス2009年2月11日号(No.1458)掲載

――現役時代、馬場さんの活躍に刺激を受けたことはありましたか?

猪木 あの頃は「なんであんなプロレスが認められるんだ?」って思ってた。でも考えてみると、一つの対立構造というかライバル関係にあったことは、俺にとってよかったんだろうね。もし俺がいなく馬場さんだけだったらどうなっていたか。プロレスというものがもっと違う方向へ行ってたかもしれないし、今の状況がもっと早く来てたかもしれない。

――馬場さんが亡くなられたことで、猪木さんの中で変化はありましたか?

猪木 なかったね。もう、そういうものは通り越しちゃってた。俺も議員になったし、引退もしてたから。最後、馬場さんが病院に入る前だったかな、(ホテル)オークラで会った時に立ち話をして、「オマエはいいよなぁ、やりたいことができて」って声を掛けられたのは印象に残ってる。ちょうどUFO(ユニバーサル・ファイティングアーツ・オーガニゼーション)を立ち上げるんで丸坊主になって力道山の墓へ行った時だったかな。

――会われたのはそれが最後ですか。

猪木 そう。ある意味、その言葉の中に真実が隠されてたのかな。やりたいことをできないのが人生だったりするけど、敵からすれば好き放題やってきたように見えたんでしょう。

――昔はファンも馬場派、猪木派に分かれて、どちらが強いか議論するなど活気がありました。ファンもライバル関係にあったというか……。

猪木 でも、馬場さんとはプロレスに対する考え方が根本的に違うわけで。どっちがいいとか、良し悪しを語る必要もないけど。俗にいうショーマンプロレス。練習どうこうは関係なしに、リングに上がって客を喜ばせればいいと。まぁ、悪いことしたとは思ってないけど、苦しめてごめんなさい(苦笑)。日本っていうのは保守的なところがあって、老舗とか本家とかでいうと、プロレスで本家は向こうだから。マスコミも何でも、本家に寄るのは仕方ないこと。

――日プロ時代、猪木さんの決め技だったコブラツイストを馬場さんが使うこともありました。

猪木 でも、あんなの形になってねぇじゃん。ただ昔は、他人の技は盗らない、やらないっていうのがあった。「大きいからそれだけパワーがある」とか、何もわかってないのに言う人がいてツラい部分はあったけど、そこから卍固めが生まれたわけで。

(つづく)

橋爪哲也

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