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2022-01-27

【ボクシング】尾川堅一を追って――日本拳法出身の前田稔輝、2・8重要ファイトに臨む

日本拳法10冠の前田稔輝。意志の強さを感じさせる澄んだ目が印象的だった(2019年7月13日、写真/船橋真二郎)

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 昨年11月、異色のバックグラウンドを持つ世界チャンピオンが誕生した。日本拳法の師範だった父の道場で2歳のころから鍛えられ、明治大学主将として東の名門校を全日本学生選手権・団体準優勝に導くまでの20年、日本拳法一筋に打ち込んだ尾川堅一(帝拳、33歳)。サウスポーの巧者アジンガ・フジレ(南アフリカ)を計3度倒す堂々の判定勝ちで、空位のIBF世界スーパーフェザー級王座を手にした。舞台はニューヨーク、アメリカ東海岸の殿堂、マディソン・スクエアガーデン・シアター(現在の名称はHuluシアター)。そんな尾川に熱い視線を送っていた若きプロボクサーが大阪にいる。

文・船橋真二郎


尾川の世界奪取に力をもらった

2021年11月、尾川堅一の悲願の世界奪取に力をもらった(写真・ゲッティ イメージズ)
2021年11月、尾川堅一の悲願の世界奪取に力をもらった
(写真/ゲッティ イメージズ)


「まさにアメリカン・ドリームですよね。(ライブ配信した)DAZNでドキドキしながら見てました。すごく感動するものがありましたし、夢があるなって、感じました。自分もあとに続きたい、と」

 前田稔輝(まえだ・じんき/グリーンツダ、25歳)という。自身もまた2019年4月に日本拳法からプロボクシングの世界に身を投じた。その年の全日本新人王になり、無傷の8連勝(4KO)中。現在は日本フェザー級10位にランクされる。

「ファンの目線」で祈るような想いもあったという。

 2017年12月、ラスベガスの王座決定戦でテビン・ファーマー(アメリカ)に判定勝ち。一度は確かにつかんだはずのIBFの赤いベルトを尾川は取り上げられた。

 試合前に行われたドーピング検査の結果が出て、まさかの陽性反応の通達を受けるのは1ヵ月後のこと。ネバダ州コミッションの調査に全面的に協力したものの、“身の潔白”を証明するには至らなかった。

 20代最後の年、人生を懸けて臨んだ大一番は“無効”とされ、ベルトは“剥奪”。日本ボクシングコミッションから1年に及ぶライセンス停止処分を科された。身に覚えのないドーピング違反を受け入れざるを得なかった、何もかもなかったことになった尾川の心中は想像を絶するものがあった。

「ずっと耐え続けて、チャンスを待って、やっとつかんだベルトじゃないですか。自分も(王座奪取の瞬間を)見ていて、いろんな感情になりました」

 何より艱難辛苦の4年を乗り越え、「同じ日本拳法からボクシングの世界チャンピオンになってくれた」先達の姿に心が震え、力が湧き上がってきた。

「またひとつ、自分のなかにも可能性を感じました。もっと頑張って、自分もなりたい、なるんだっていう思いが芽生えましたし、さらに強くなりましたね」

アマ出身の俊才・木村蓮太朗との注目の一戦

 前田は来たる2月8日、東京・後楽園ホールで「3年のボクシングキャリアのなかで、いちばんのターニングポイント」と位置づける重要な一戦に臨む。

 対戦相手は2020年7月のプロデビューから5戦全勝3KO、同じサウスポーで同年代の俊才・木村蓮太朗(きむら・れんたろう/駿河男児、24歳)。静岡・飛龍高校、東洋大学で通算88戦72勝(26KO・RSC)16敗のアマチュアキャリアを積み重ね、大学時代には全日本選手権、国体(2度)と全国3冠を成し遂げている。

 9戦目で迎えるアマチュアホープ。ある意味、本格派のボクシングと初めて向かい合うリングになる。「“異種対抗戦”じゃないけど、そういう対決として見ても面白いと思うので、ぜひ注目してもらいたいですし、僕自身、今まで以上に緊張感もあって、ワクワクもしています」と腕を撫す。

 小学1年から主将を任された大阪商業大学まで、16年の間に全国大会10冠を達成した実績があり、競技こそ違え、体重無差別の1対1の勝負の世界でトップを張ってきた自負がある。「お互いに落とせない大一番」を控え、「僕のなかでは、すごく大きな存在の人」から、また刺激をもらった。

「同じ日本拳法家として、負けられへん」

 尾川に大きな力をもらうのは2度目になる。

 日本拳法からボクシングへ――

日本拳法時代から父・忠孝さんと二人三脚で歩む(2019年7月13日、写真/船橋真二郎)
日本拳法時代から父・忠孝さんと二人三脚で歩む
(2019年7月13日、写真/船橋真二郎)


 日本拳法との出会いは6歳、幼稚園の年長のころだったという。父・忠孝さんと習い事を探していた。「もともと、お父さんは野球をやってて、僕にもやらせたかったみたいなんですけどね。一向に興味を示さなかったみたいで(笑)」。

 生まれ育った地元の体育館に武道場があり、さまざまな武道の教室が開かれていた。父に連れられて見学に行った日、「たまたま、やっていた」のが日本拳法だった。

「僕はあんまり覚えてないんですけど、何か惹かれるものがあったんでしょうね。興味を示したらしく、体験もしたら、僕が『やりたい!』って、なったみたいで」。

 父は幼い息子の“やる気”に全力で寄り添った。ともに日本拳法を始め、未経験者から指導者資格を取得するまでになる。10冠は親子二人三脚でつかんだ結果でもあった。

「僕が拳法を始めたころは、ちょうどK-1とか、PRIDEが全盛期で」。突きに蹴り、投げなどもある格闘技に一心に打ち込み、自分の未来をK-1のリングに描いた。が、高校生のころだった。『WOWOWエキサイトマッチ』の映像に心を奪われた。

「パッキャオやメイウェザーとかの試合を見て、『すげえな、こんな世界があるんや!』と思って。ラスベガス、海外のボクシングを知って、一気に興味を惹かれました」

 余談になるかもしれないが、格闘技人生の第一歩を踏み出すことになった体育館の名前を聞けば、あらかじめ進む道は決まっていたように思えてくる。大阪・守口市民体育館。前田が生まれる5年前、あの辰吉丈一郎が21歳にしてWBC世界バンタム級王座を奪取した場所である。

目の前が開け、可能性を感じた瞬間

2015年12月、尾川が”日本拳法仕込み”の右で内藤を倒した瞬間を目撃した(写真/BBM)
2015年12月、尾川が”日本拳法仕込み”の右で内藤を倒した瞬間を目撃した
(写真/BBM)


 日本拳法出身者の尾川堅一が日本タイトルに挑む――。居ても立ってもいられず、大阪から東京に向かったのは大学1年、2015年12月14日のことだった。

「同じ日本拳法の世界からボクシングに飛び込んだ人の節目の試合、記念すべき瞬間を目に焼きつけておきたいと思って」

 当日は東洋太平洋スーパーフェザー級王者、伊藤雅雪(現・横浜光)の初防衛戦がセミファイナルに組まれたダブルタイトルマッチ。超満員にふくれ上がった後楽園ホールで、前田は忘れられない瞬間と立ち会うことになる。

 1ラウンド終了間際。まず右ストレートをボディに打ち込んだ尾川が返す刀で真っ直ぐ顔面に叩き込んだ右の拳が、当時13戦全勝5KOを誇り、3度の防衛を果たしていた技巧の日本スーパーフェザー級王者、内藤律樹(E&Jカシアス)の堅いディフェンス網を打ち砕き、痛烈なダウンを奪ってみせるのだ。

 興奮のるつぼと化し、沸き返る会場の真っ只中で「鳥肌が立った」。

「あんな早いタイミングでダウンを取るとは思ってなかったですし、難しい試合になると思っていたので。あれは“日拳仕込み”の右ストレート。もう自分もボクシングをやろうと決めていて、でも、どこまで通用するのかなっていう思いもあって。それを尾川さんが証明してくれたというか、この世界でも自分にチャンスはあるなって、目の前が開けて、可能性を感じさせてくれた瞬間でした」

 日拳仕込みのストレート――。オーソドックスとサウスポーの違いはあれ、前田の武器もまた踏み込みの速さ、一瞬のタイミングを突く左の切れ味の鋭さ。

「それは自分の体に染みついてるものなので」

 全日本新人王獲得後、ボクシングの距離感に馴染んできた2020年の2戦は、異能の左で戦慄的なKO勝ち。が、昨年の2戦は判定勝ちにとどまった。いずれも独特のリズム、戦い方を持つ変則タイプにうまく対応することができなかった、という。4月のランカー対決ではサウスポー相手に初体験のダウンも喫した。

「ここから先、左だけでは上には行けないと思うので、それ以外のことにも取り組んで、他の武器をいろいろ創っているところ」だが、自分にしかない武器をもちろん見失ってはいない。尾川も世界レベルのひのき舞台で見せてくれた。

「世界戦でも、一瞬でスッと相手の懐に入って、ノーモーションで叩き込んだ右でダウンを取りましたよね。あのタイミングは日本拳法で培われたものやと思いますし、やっぱり尾川さんのなかに拳法のよさは残ってるな、と感じました」

 別の武器が生きれば、最大の武器が生き、その左が生きれば、他が生きてくる。確信を深めた。

いつか尾川を追い越したい

踏み込みの速さ、一瞬のタイミングを突く左が武器(写真/BBM)
踏み込みの速さ、一瞬のタイミングを突く左が武器(写真/BBM)

 アマチュア3冠のサウスポー、木村蓮太朗と対する一戦。尾川が高校3冠からプロ転向したサウスポーの内藤律樹に挑んだ、あの日本タイトルマッチと構図が重なる。

「それは僕も感じるところはあります。アマチュアエリートからプロで着実にキャリアを積んだ内藤選手、日本拳法から全日本新人王を獲って、初めてタイトルに挑む尾川さんが対峙して、どっちが勝つのかっていう一戦。正直、今度の試合は、向こう(木村)が有利という声が多いと思うし、最近はアマチュアエリートに叩き上げは負ける傾向がありますけど、自分は普通の新人じゃないぞっていうのを聖地と言われる後楽園ホールで見せて、下馬評をひっくり返したいですね」

 尾川とは、内藤戦後に“出待ち”をし、一緒に写真も撮ってもらった。自己紹介すると“日本拳法の前田稔輝”を知っていてくれたという。翌年、大学2年のときに10冠目となる全日本学生拳法個人選手権大会で優勝。「大学日本一の肩書きを持って、ボクシングに転向するビジョンがあった」という前田は自らに課したハードルをクリアした。しばらくして、SNSのメッセージで秘めた決意を送り、《頑張ってね》と激励をもらった。

 いつか話を聞いたり、一緒に練習をしたり、スパーリングで手を合わせてみたい気持ちもある。同じボクシングのリングで生きていく以上、「いつか追い越したい」という野心もある。

グリーンツダジムを背負って

4戦全勝で全日本新人王獲得。父・忠孝さん(左)、本石昌也会長(右)とともに(2019年12月22日/写真・船橋真二郎)
4戦全勝で全日本新人王獲得。父・忠孝さん(左)、本石昌也会長(右)とともに
(2019年12月22日/写真・船橋真二郎)


 日本拳法時代と同じく、父でトレーナーの忠孝さんとともに歩む。「僕のいいところも、悪いところもすぐに感じ取ってくれて、お父さんにしか分からないことがあるので。2人でひとつというか、なくてはならない存在」。譲れない希望を叶え、快く受け入れてくれた本石昌也会長への感謝を口にするとともにグリーンツダジムには見えない縁も感じている。父と並行して、もうひとり、指導を受けているのが、ジムのアドバイザー兼トレーナーの島田信行さん。辰吉丈一郎の元トレーナーである。

 グリーンツダジムは昨年、元日本ウェルター級王者の矢田良太が引退、元日本スーパーフライ級王者の奥本貴之が手痛い負けを喫し、「世代交代」の転換期にある。「これからのジムのツートップ」と本石会長が期待をかけているのが、2017年の全日本新人王で、日本スーパーバンタム級8位の下町俊貴(しもまち・としき/25歳)、そして、前田の同い年のサウスポーコンビだ。

「そういう意味でも絶対に落とせないですし、グリーンツダジムの今年の一発目の試合が僕なので。このあとに続くツダの選手たちに火をつけるような、刺激を与えられる試合を見せたいと思います」

  電話取材で表情は見えなかった。それでもまだプロ2戦目、西日本新人王準決勝を戦い終えたあと、凛とした声で「これから僕にしかできないストーリーをつくっていくので、注目してもらいたいです」と語ったときの、意志の強さを感じる澄んだ目が印象に残っている。2月8日の後楽園ホール。「しんどい展開、苦しい試合になることも想像してます」。日本拳法出身の若きホープは、ここからどんな物語を描くだろうか。

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