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2022-04-25

アントニオ猪木がグレート・ムタとの初シングルを“魔性のスリーパー”で制すも…新日本プロレス歴史街道50年(41)【週刊プロレス】

アントニオ猪木vsグレート・ムタ

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 前年に続いて「博多どんたく」に合わせて開催された1994年の福岡ドーム大会。前年秋にエリック・ビショフ氏がWCWの副社長に就任して提携が強化されたこともあって、全体的にはお祭りムードのカードが並んだ。その中で異彩を放ったのがアントニオ猪木vsグレート・ムタ。ここから“燃える闘魂”の引退へ向けたカウントダウンが始まったが、猪木にとってはイラ立ちだけが残る第一歩だった。

 1994年は年頭に東京ドーム大会を開催。94年の1・4は、新たな演出としてWCWスタイルの立体花道が設けられた記念すべき大会でもあった。

 その花道を最後に歩いたのがアントニオ猪木。リング上では天龍源一郎が待ち構えていた。2つの“魂”の激突は、天龍がパワーボムで“燃える闘魂”をマットに沈めた。そして猪木が引退ロードを歩むと発表された。福岡ドームがその第1弾の舞台となった。

 対戦相手に指名されたのはグレート・ムタ。武藤敬司との一騎打ちはおこなわれていない。タッグでの初対決で血ダルマにされた相手に、別人格で遠慮なく仕返しできるシチュエーション。猪木にしても闘魂三銃士世代とシングルで対戦するのはこれが初となる。残された時間から考えても最初で最後の一騎打ち。まさに異次元対決だった。

 そこまでは第三世代のヤングライオン対決、ジュニア対決、平成維震軍が本隊、レイジング・スタッフ、昭和維新軍との激突といった通常のシリーズの流れを汲んだ闘いに加え、WCW直輸入のアメリカンスタイル、外国人タッグ対決などが並び、終盤は橋本真也、蝶野正洋、馳浩がそれぞれ藤波辰爾、長州力、藤原喜明とシングルでぶつかる世代闘争が繰り広げられた。

 そして迎えた猪木vsムタ。両者の入場を前に福岡ドームはそれまでと異なるムードに包まれた。まさに異次元。試合はムタが猪木の顔面に毒霧を噴射。最後は“魔性のスリーパー”で絞め落としてフォール勝ちをスコアしたが、試合は終始ムタのペース。誰が相手であろうと自分の思い描いた試合をしないと納得しない猪木にとっては、自分の世界に染められなかったことでイラ立ちを隠せなかったのが印象的だった。

 また同大会では獣神サンダー・ライガーvs佐山聡が組まれた。佐山にとっては1981年8月に電撃引退して以来、13年ぶりとなる新日本のリング。タイガーマスクとして上がるかどうかが注目されたが、残念ながら素顔での復帰。試合もエキシビションとしておこなわれた。

 序盤に蹴りを繰り出しただけで広いドームは大いに沸いたが、結局は時間切れ。格闘技スタイルできても対応できるように戦闘モードでリングに上がったライガーとの温度差ばかりが、時間の経過とともに見てとれた。試合後、ライガーが通常の試合形式での再戦を希望した一方で、佐山は後日、「試合…じゃなく、芝居をしてきました」と発言。それが大々的に報じられたこともあって、“夢の再戦”は遠のいてしまった。
(つづく)

橋爪哲也

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