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2022-05-06

【連載 名力士ライバル列伝】吉葉山―鏡里

“悲運の横綱”と言われ、絶大な人気を誇った吉葉山

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戦後の日本中が疲弊し、食うものもやっと、という時代、
大相撲人気も大きく低迷。
栃錦、若乃花、「栃若」の台頭で人気が上向くまで、
歯を食いしばって土俵を守り、盛り上げた横綱たちがいた。
初の江戸っ子横綱の東富士、
豪快な突っ張りで相手を圧倒した千代の山、
69連勝の双葉山が育てた鏡里、美男横綱の吉葉山。
戦後の復活は、彼らの活躍を抜きにしては語れない。

足並みそろう昇進と散り際
 
千代の山、栃錦と4横綱で迎えた昭和33(1958)年初場所、吉葉山と鏡里は崖っぷちに立たされていた。

不振が続く横綱に世論は厳しく、場所前に「10勝できなければ引退する」と記者に語った鏡里に、連日報道陣が殺到。ところが、この鏡里の引退騒ぎの間に、7日目吉葉山が清水川に敗れ3勝4敗となると、「危ないのはむしろ吉葉山のほうだ」という声が高まっていった。そしてついに8日目、吉葉山は、胸を貸して育てた同門・立浪部屋の若羽黒に引導を渡される5敗目を喫し、翌9日目に引退を発表。鏡里もまた、13日目、若乃花に敗れて6敗目を喫し、公約どおり、千秋楽に土俵を去る。吉葉山の引退がまだ尾を引いていただけに、「道連れ」とも言われた。

初土俵は吉葉山が2年半早いが、5年間の応召のブランクがあり、新十両、新入幕は鏡里が先んじた。初顔合わせは、鏡里が入幕6場所目、吉葉山が入幕5場所目の昭和24年春場所7日目。この一番は吉葉山が打っ棄りで鏡里を倒している。以降、三役に定着した二人の活躍は目覚ましく、大関先陣争いのライバルとして注目されるようになった。

昭和26年春場所後、二人は大関に同時昇進。その前3場所で目覚ましい活躍を見せた吉葉山は、千代ノ山に続く横綱候補と目されたが、戦時中に負った足の古傷に悩まされ、場所ごとに好不調の差が表れるようになる。ファン注目の綱取りレースは、取りこぼしの目立つ吉葉山に対し、大関在位中、二ケタの勝ち星を続けた安定感の鏡里に軍配。大関6場所目の28年初場所、14勝1敗で初優勝し、横綱に先んじた。

吉葉山は同年夏場所、14勝1敗ながら、全勝の平幕時津山に優勝をさらわれる不運もあった。それでも運命の女神は見捨てなかった。明けて29年初場所、全勝で千秋楽、1敗で追う鏡里と激突。積年の思いをぶつけるかのように寄り切りで破り、15戦全勝で初優勝。念願の綱をつかんだのだ。

33歳で横綱を射止めた吉葉山人気はさらに沸騰したが、ケガと病に泣かされ続けた。一方の鏡里も、大関以来優勝から遠ざかっていたが、昭和30年秋場所、31年初場所と連続優勝し長い眠りから覚めた。横綱時代に鏡里は3回の優勝を遂げたが、吉葉山はゼロ。鏡里は立浪勢や鶴ケ嶺ら井筒勢との対戦がなかったのに対し、吉葉山は立浪勢とともに稽古しながら総当たりを強いられたのも、賜盃から遠ざかる一因だった。

横綱同士の対戦成績は鏡里の4勝3敗。最後の対戦、昭和32年秋場所13日目は、吉葉山が立ち合い、得意の蹴手繰りを見せ、強烈な上手捻りで鏡里を横転させた。腰高で、下位からの取りこぼしが多い共通項が災いし一時代は築けなかったが、31年初場所千秋楽の、がっぷり四つに組んでの大熱戦のように、横綱になっても互角の勝負を挑む、屈指の好取組としてファンの心を熱くさせた。

吉葉山 11勝ー10勝 鏡里

『名力士風雲録』第26号 東富士 千代の山 鏡里 吉葉山 掲載

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