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2022-04-22

【連載 名力士ライバル列伝】千代の山―若乃花

仁王様のようなイカツい体つきと強烈な突っ張りで人気のあった千代の山

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戦後の日本中が疲弊し、食うものもやっと、という時代、
大相撲人気も大きく低迷。
栃錦、若乃花、「栃若」の台頭で人気が上向くまで、
歯を食いしばって土俵を守り、盛り上げた横綱たちがいた。
初の江戸っ子横綱の東富士、
豪快な突っ張りで相手を圧倒した千代の山、
69連勝の双葉山が育てた鏡里、美男横綱の吉葉山。
戦後の復活は、彼らの活躍を抜きにしては語れない。

水入り5度の「歴史的死闘」

同じく戦後、4横綱時代を長く生きた千代の山の「ライバル」といえば、“土俵の鬼”若乃花が思い浮かぶ。23度の顔合わせで、水入りの大相撲は実に5度。筋骨隆々の青年横綱と強靭な足腰を有する新スターが、がっぷりに渡り合うさまは、国技館内を常に熱狂の渦へと巻き込んだ。

両者は2度目の対戦、昭和26(1951)年夏場所9日目に早速、大熱戦を演じた。千代の山(当時千代ノ山)は3度目の優勝と綱取りを目指しており、若乃花(当時若ノ花)は初三役をうかがう新鋭だ。

立ち合い、千代の山が突っ張りきれず、不用意に叩いて相手を呼び込んでしまったことから長期戦に。右を差し、左上手を取って寄り詰める千代の山に対し、負けじと寄り返す若乃花。千代の山の左を巻き替えての掬い投げを、若乃花が右外掛けで防ぐなどの攻防を経て、水が入った。そして再開後、上手を切ろうとする若乃花の上体が起きた瞬間、右からの掬い投げがタイミング良く決まり、千代の山に軍配。

「千代の山が叩いたのは悪かったが、今までのように焦らず、右を差し、若乃花の左を引きつけて十分にさせなかったのが良かった。若乃花はよく健闘した」

とは秀ノ山親方(元関脇笠置山)の評だ。

この後、横綱となった千代の山は右四つの相撲もしっかり身につけ、若乃花もまた、それに対抗すべく、得意の左だけでなく右も使えるよう鍛えていった。互いの成長で、二人の対戦は昭和29年ごろから、さらに熱気を帯びてくる。同年秋、31年夏と水が入り、30年秋場所には2度の水入り、2番後取り直しでも決着がつかず引き分けという合計17分の歴史的死闘となった。

長期戦は、スタミナ的に年少の若乃花が有利かと思われたが、千代の山はそんな見方を、昭和32年初場所12日目に覆す。ここでも千代の山が土俵際へ追い詰めながら叩いたため、若乃花の挽回を許して右四つがっぷりの激戦に。2度の水入りでも決着せず、またもや2番後取り直しとなった。そして最後は、得意の突っ張りで若乃花の上体を起こした千代の山が、モロ差しを果たして寄り切り。8分近い激闘にも疲れを見せず、この場所、15戦全勝優勝を果たすことになる。

結局、若乃花が横綱へ上がる昭和33年も3連勝と、最後まで高い壁として立ちははだかった千代の山。それでも、

「あの腰とヒザのバネ、強さといったら、ちょっと他にいない。当分、強さは続きますよ」

と引退時にエールを送ったとおり、若乃花はこの後、「栃若時代」の最盛期へと突入していくのだ。

千代の山15勝―8勝若乃花

『名力士風雲録』第26号 東富士 千代の山 鏡里 吉葉山 掲載

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