close

2022-06-23

バッドニュース・アレンが小川直也戦を希望した理由は? 新日本プロレス歴史街道50年(45)【週刊プロレス】

ウィリエム・ルスカと闘うバッドニュース・アレン(バッファロー・アレン)

全ての画像を見る
 外国人レスラーで柔道からの転向組といえばウィリエム・ルスカ、アントン・ヘーシンクが有名だが、成功したとはいいがたい。いずれも新日本プロレス、全日本プロレスで基礎を学んだものの柔道時代のクセが抜けきれなかったのが要因といえるが、金メダリストのプライドが邪魔したことも否定できない。

 その点、バッドニュース・アレンにとっては柔道で頂点に立てなかったことが幸いしたともいえる。引退間近、アレンは小川直也との対戦を希望した。結局、実現はしなかったが“新旧柔道五輪代表対決”をぶち上げた理由とは何か? 20年前、旗揚げ30周年特別企画としてカナダ・カルガリーでおこなったインタビューでの言葉をここに再録する。
※2002年5月16日発売のプロレス専門紙に掲載。リングネーム、団体名などの表記は当時のもの。

――新日本でプロレスを学んだあと、ニューヨーク地区(WWF)をサーキットしましたね。

アレン イエス。ミスター・シンマがビンス・マクマホン(シニア=当時のWWF代表)にブッキングしてくれたんだ。そのあと、ロスのマイク・ラーベルのプロモーションをサーキットして日本に戻ることになった。それから日本には何度も行った。日本は大好きな国だよ。

――柔道出身といえば何かにつけてウィリエム・ルスカ(72年ミュンヘン五輪柔道2階級制覇)と比較されたと思います。彼とは柔道ジャケットマッチでも闘いました。

アレン 確かに彼は強かった。しかし、それはあくまで柔道において。プロレスをさせるとヘタで、動きはまるでロボットのようだったな(笑)。だから彼は、プロレスでは成功したとはいえないだろ?

――確かに。柔道出身で成功したといえるのは、坂口(征二)さんとアレンさんぐらいでしょう。あと小川直也選手がどこまで成功するか……。

アレン トーキョープロレス(新東京プロレス)に上がっていた時に小川に挑戦状を叩きつけたんだけど、返事はなかった。だから残念ながら対戦は実現しなかったね。

――なぜ小川選手との対戦を希望されたんですか?

アレン 小川は急激に痩せただろ? あれで強いはずないと思っていたから、チャンスだと思ったんだがね。オレもヒザの調子が良くなかったから、そろそろリタイアしないといけないと考えている時期で。最後の勝負として挑戦をぶち上げたんだ。日本で最初に闘ったのがサカグチ。最後も同じ柔道出身の選手というのも面白いんじゃないかと思ってね。

――もし対戦が実現していたら、勝つ自信は?

アレン それはやってみないとわからない。ただ、プロレスの“センパイ”としての意地は見せてやろうと思っていた。彼が今、どれぐらいのポジションにいるかはわからないが、オレと闘っていたら今ごろもっと上にいっていたと思う。

――試合以外にも日本では数多くのエピソードを残していますよね?

アレン イエス。あれはクマモトでの試合だった。オレとスタン・ハンセンが組んで、イノキ、フジナミと闘った試合だったけど、客が投げた生卵がイノキの頭に当たって割れたんだ。それがおかしくて、リング上で笑いがこみあげてきて。こらえようとしたけどダメだった。あれで集中力が切れてしまって、その時は全然試合にならなかったな。

――あと、花束嬢を怖がらせていましたね。

アレン まぁ、それもオレのパフォーマンスさ。でも、ちょっとやりすぎたかな(苦笑)。コーラクエンホールだったかな、こんなことがあった。オレがリングに上がって花束嬢を見たら震えてるんだ。で、花束を渡す段になってもオレの方に来ない。で、オレの方から花束を奪ってやろうと花束嬢に近づいたら、セカンドロープとサードロープの間から飛んで逃げていった。フジナミの技(ドラゴンロケット)みたいに。いや、フジナミより見事だったな。大丈夫か心配になったけど、リングを下りて確かめるわけにもいかないし、困ったよ(笑)。


<プロフィル>
本名アレン・コージ。1943年10月22日生まれ、米ニューヨーク州ニューヨーク出身。18歳で柔道を始め、AAUなどのタイトルを獲得。76年、モントリオール五輪で銅メダルを獲得。アメリカ人では初の柔道メダリストとなる(2人目はロンダ・ラウジー=銅メダル)。翌77年、プロ転向。同年10月25日、日本武道館での「坂口征二との柔道ジャケットマッチでデビュー。その後、新日本に1年間“留学”。ミュンヘン五輪で2階級制覇を達成したウィリエム・ルスカとも柔道ジャケットマッチで闘う。留学期間を終えると、フレッド・ブラッシーをマネジャーにアメリカ東部(WWF=当時)をサーキット。80年から外国人サイドで新日本マットに定着。外国人エースをサポートする立場で、日本人サイドにとっては嫌な存在。同じ柔道出身の坂口の好ライバルとなる。92年、UWFインターナショナルに移籍。97、98年には新東京プロレスに来日。99年、両ヒザを手術を機に引退。その後、カナダ・カルガリーで警備会社に勤めていたが、2007年3月6日、急性心不全で死去。63歳だった。

橋爪哲也

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事

RELATED関連する記事