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2022-06-20

反対工作により新日本のNWA加盟ならずもアントニオ猪木は「総会に出席しただけで価値はあった」【週刊プロレス昔話】

アントニオ猪木vsジョニー・パワーズ

1973年当時の日本プロレス界は外国人選手への依存によって興行成績を上げていくことを余儀なくされていた。その点でジャイアント馬場率いる全日本プロレスに後れを取っていた新日本プロレスはNWA(全米レスリング協会)加盟を企図。

新日本プロレスのアントニオ猪木はまずNWAのバイスプレジデントであり、NWAの有力メンバーでロサンゼルスのプロモーターであるマイク・ラベール氏のパイプを通じて、ロサンゼルスとの提携に成功した。この裏側には怪物と言われたジュールス・ストロンボー氏の工作があったとも伝えられている。

そして、ロサンゼルスを基点にして、NWAに加盟を申し入れ。1973年度NWA総会は8月3日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのホテル・フラミンゴでおこなわれ、その結果は新本プロレスのNWA加盟は拒否された。噂では新日本プロレスがNWAと結びつくことによって不利益を被るグループによる反対工作が功を奏したとも言われている。

当時の猪木は「長い目で見れば、今度のNWA総会に出席したことは、私と新日本プロレスにとって大きなプラスであり、出席しただけで価値はあったと思う。マイク・ラーベル氏をはじめ、サンフランシスコのプロモーターのロイ・シャイヤ氏、ニューヨークのビンス・マクマホン氏、オレゴンのドン・オーエン氏、デトロイトのザ・シークなども応援してくれた」と前向きにコメント。その後、ビクター・リベラ、ジョニー・パワーズ、ジョニー・バレンタインらの招聘に成功するなど、一定の成果もあった。

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