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2022-10-06

【陸上】山縣亮太、新たなチャレンジをした今季を経て、1年1年の積み重ねの先に気負わずパリへ

アシックスと契約を結んだ山縣亮太(セイコー)。2023年の世界選手権カラーのシューズとともに

8月1日にアシックスとアドバイザリースタッフ契約を結んだ山縣亮太(セイコー)が、10月2日に国立競技場で行われたリレーフェスティバル2022のアシックスブースでサイン会を行った。

アシックスと契約を結んだ経緯を「東京オリンピックが終わって、心機一転、さらに上のステージで頑張っていきたいと思ったときに、アシックスとだったら自分の思い描く選手としてのキャリア、人間としてのキャリアを描けるのではないかと思い、契約させていただきました」と語った山縣。100mの日本記録保持者がシューズに求めるのは、「人間の走るという機能を最大限に引き出してくれる」ことだ。現時点で、今後のレースで着用するスパイクは決まってないが、「スプリンターは反発が命なので、厚底になるのか、地面の反発をしっかり受け入れる薄底になるのか、議論の余地はありますが、自分の走りに合ったシューズを履きたいと思います」といい、今後は、データ提供などで、アシックスと連携してスパイクやシューズの開発にも携わっていく。

前に進んでる実感を得ながら、過ごせたシーズン

昨シーズン、日本記録保持者として臨んだ東京オリンピックでは100mで予選敗退、4×100mリレーの決勝ではバトンがつながらずに途中棄権となった。自身3度目のオリンピックを「期待のコントロールがうまくいかなかった」と振り返る。昨年10月には、24年のパリオリンピックに向けて、もともと痛めていた右膝蓋腱炎の手術に踏み切った。そして22年をリハビリと走りの改革に充て、キャリアで初めてレースを走らないシーズンを過ごした山縣。走れるまでに回復し、すでに強化の段階に入っているという現在の状況や、オレゴン世界選手権で考えたこと、新たな挑戦について聞いた。






――いま現在の練習状況は?

「強化の段階に入ってきています。ちょうど1年前に手術をして、傷の治癒を待ちながら、技術的な走りの改革を長い時間かけてやってきて、ケガの回復とともに形になり、今は走れるぐらいに回復してきています。スパイクを履いてスピードをマックス上げる練習はしてないですが、グラウンドに出て、それなりに高い強度の練習っていうのをこなせるぐらいになってきていますね」

――今季はキャリアで初めて試合に出場しないシーズンでした。

「1試合も走ってないのは初めてかもしれないですけど、20年は1試合しか走ってないし、時々あるんですよ。なんで大丈夫です」

――山縣選手にとって「必要な1年」だったと。

「自分を変えるための1年でした。僕も30歳で、いい年なので、ケガの治りだったり、今までの癖を見直して新しい技術を習得するのもやっぱり時間かかるんで、そのために本当に必要な時間だったなと思います」

――オレゴン世界選手権は一ファンとして見ると仰っていました。

「ファンとして、人間の本当に極限の、研ぎ澄まされたパフォーマンスを純粋に楽しみながら、一方でもちろん選手であるので、日本の選手が活躍している姿を見て、自分もそこに立っておきたかったなという思いも改めて感じました」

――東京オリンピックで感じた海外選手とのフィジカルの差について、世界選手権で改めて思ったことは?

「海外の選手のフィジカルが強いのは、誰が見てもそう思うんです。より深いレイヤーで見たときに、強度の高い練習をするからこそあの体になったのは間違いないんですけど、強度の高い練習をするためのケガをしない体づくりをていねいに積み上げてきてるんだなというのを、特にこの1年、自分が体と向き合うなかで感じましたね。一歩も二歩も先に進んでいるなっていう気がしました」

――一番印象に残ったレースはありますか。

「男子のマイル(4×400mリレー)かな。僕が学生の頃から、四継とマイルはお互いに刺激し合っていて、リオで四継が頑張っているときに、マイルがなかなか思ったような順位と記録を残せなくてというところから、日本のマイルチームが奮起している。今度は自分たちが頑張ろうって思いました」

――身体の機能の改善テーマにされてきて、今季、その面で上積みはあったのでしょうか。

「ありましたね。なかなかそれを気付かせてくれる人っていないんですけど、もちろん自分じゃ気付けないですし。今、見てくださっているコーチ(高野大樹)、リハビリを中心に見てもらっている理学療法士さんだったり、専門知識を持ってる方たちの意見が、自分にない世界を切り開いてくれました。それが自分の伸びしろだなと。最初はできないことだらけでしたけど、できないことにチャレンジしていく、すごく楽しい1年でした」

――できないことにチャレンジしている理由というのは?

「チャレンジしていかないと自分が成長している実感が湧かないっていう、もうそれだけですね。ケガをしているときは試合もないですし、練習でも数字が上がらず、この1年、自分が本当に成長できたって思える指標が何もないわけですよ。そういったときに自分がちゃんと前進していると思えるのは、できないことができるようになる、ただそれだけでしかなくて。それはどんな小さいことでもいいと思っているんですけど、リハビリの細かい筋力を使ったトレーニングとか、連動性を高めるトレーニングとか、本当に一個一個、課題をクリアしていくなかで、ちゃんと自分が前に進んでるんだなっていう実感を得ながら、今季は過ごせましたね」

――チャレンジといえば、ピアノにも取り組まれているそうです。

「コロナ禍でおうち時間になってキーボード買ったところからですね。体をうまくコントロールするとか、身体を操作するという意味では一緒なので、どういう姿勢で弾いたらいいのかとか、いろいろ考えながらやると、ピアノをやっている意識が競技の方向にリンクしたり、逆もあったり。そういう相乗効果を感じますね」

――23年シーズンから本格的に復帰される予定とうかがいましたが、来季の目標は?

「元気に1年走り切る、ですかね。24年のパリが大きい目標としてあるんで、そのなかで無理せず、やりたいです。東京オリンピックは自分の中で期待のコントロールがうまくいかなかったというのもあったので、23年シーズンはあんまり気負わず迎えたいです」

――来年はブダペスト世界選手権、24年にパリオリンピック、25年に東京世界選手権とビッグイベントが続きますが、パリが一番の目標になりますか。

「パリですけど、パリだ、パリだと言っているとまた緊張するので、1年1年しっかりやっていくなかにパリがあるというぐらいに、そういう取り組みになると思います」

――どんな走りを目指していくのでしょうか。

「見ている皆さんには、本当に速い走り、スケールの大きい走りをお見せできたらと思いますけど、自分としては、今までの自分とは、形も、意識も、全然違う走りになればいいと思います」

――先日、Twitterで「殻を一つ破りました」と気になるツイートをされていました。

「答えは拍子抜けするので、公にはしてないんです(笑)。僕的は大きいんですけど、多分見てる人たちには、なんだそんなことかっていう。絶叫マシンに乗ったんですよ。初めてではないんですが、苦手で避けてきたんです。ただそれだけ。自分としても心の壁を壊したい、というのもあったので、それが自分を突き動かしましたね。もうこれ以上、この話は言わないです(笑)」





30歳を迎えた今季、さまざまな挑戦を経て、アシックスをパートナーに、24年のパリに向けて復帰の準備を整えている山縣。アシックスとの契約も、選手としてのキャリアおよびライフプランを見据えた新たなチャレンジの一環であるという。

「あと何年、競技ができるか分からないですが、自分がこれまで培ってきたスポーツの価値や、スポーツが持ってる力を後世にしっかり伝えていかなければいけないなという思いがあります。自分は、スポーツ教育にすごく興味があるので、そういったところで新しいスポーツの価値を考え、パートナーとしてアシックスと一緒に歩んでいけたらと思っています」

写真/田中慎一郎

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