close

2022-12-22

アントニオ猪木vsルー・テーズで特別レフェリーに起用された“まだ見ぬ強豪”…新日本プロレス歴史街道50年(58)【週刊プロレス】

アントニオ・ロッカとアントニオ猪木

全ての画像を見る
平成に入って新日本が外部からレフェリーを招へいしてビッグマッチを開催したのは、2005年2月20日、両国国技館における天山広吉vs小島聡が印象に残っている。新日本の至宝(IWGPヘビー級)と全日本の至宝(三冠ヘビー級)の史上初のダブルタイトルマッチ。その一戦を裁いたのは和田京平レフェリーだが、新日本のリングで全日本のタイトルマッチをおこなうことから起用された。しかし当の和田レフェリーは、「昔の新日本だったら、こういう試合は特別レフェリーが裁いていたね」の言葉を残してリングに向かっていった。昭和の新日本では、大一番と特別レフェリーはセットになっていた。

特別レフェリーに起用された一番の大物といえばアントニオ・ロッカになるだろう。1975年10月9日、蔵前国技館でおこなわれたアントニオ猪木vs“鉄人”ルー・テーズのNWF世界ヘビー級選手権試合を裁くために初来日を果たしている。

この時点でロッカはセミリタイア状態。ロッカは全盛期ともいうべき1948年から63年にかけてテキサス、東部、フロリダ、五大湖地区を中心に約20回、テーズの保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦しながら、一度もベルトを巻くことはなかった。また、米マットの主要王座を保持することもなく“無冠の帝王”と呼ばれていた。

61年から62年にかけては、米国武者修行中のジャイアント馬場とも東部を中心にシングルマッチをおこなっている。うち1度はニューヨーク、MSG(マディソン・スクエア・ガーデン)でのセミファイナルだった。

テーズとの防衛戦に箔をつけるべく、鉄人と並んでも見劣りのしない“まだ見ぬ強豪”といわれたロッカが起用された。一方で、若手相手のエキシビションマッチすらおこなわれず、ロッカのファイトが日本では幻に終わってしまったのは残念だった。(この項、つづく)

橋爪哲也

送料無料通販!

新日本プロレス50年物語第1巻 昭和黄金期 | 週刊プロレス powered by BASE

四六判並製/288ページ【『新日本プロレス50年物語』シリーズとは?】新日本プロレス50年の壮大な歴史を3つの時期に分け、それぞれの時代をよく知る3人の筆者が三者三様の視点から出来事の背景やドラマを掘り下げる。歴史を読む!全3巻。【『新日本プロレス50年物語 第1巻 昭和黄金期』の内容は?】新日本誕生の1972年(昭和47年)から飛龍革命勃発の1988年(昭和63年)まで。『週刊プロレス』でおなじみのプロレス評論家・流智美氏が、学生時代からプロレス・ライター時代に至る折々において、自らの人生に「新日本プロレスの出来事や事件がどのような衝撃と影響を与えてきたか」を書いた“新日本体験記”。ファンとして多くの会場に足を運び、記者として多くの選手に接してきた筆者ならではの目撃談、証言が満載。昭和新日本の試合・会場・報道の様子や、当時の息吹が体感できる。【第1巻のもくじ】1章 猪木の黄金時代!(1972年~1977年)1972年(昭和47年)一流外国人はいなくても、団体としてのパッションだけはたしかにあった1973年(昭和48年)坂口、シン、星野、外国人勢…選手の質・量が一挙にスケールアップ!1974年(昭和49年)S・小林戦、大木戦…レスラー・猪木の「心・技・体」が頂点を極める!1975年(昭和50年)スーパー名勝負「猪木vsロビンソン」に出会えた幸せ1976年(昭和51年)異種格闘技戦は、レスラー・猪木の分岐点に。「名勝負の時代」から「好勝負の時代」へ 1977年(昭和52年)猪木vsモンスターマンは、「プロ格闘技」という新しい闘いのスタイルを生み出した!2章 新日本の黄金時代!(1978年~1983年)1978年(昭和53年)ジュニア戦士・藤波が「ポスト猪木」の座を射止める1979年(昭和54年)3団体参加の「夢のオールスター戦」が新日本の独壇場と化した!1980年(昭和55年)「昭和新日本の黄金時代」は、WWFとの蜜月関係抜きには語れない1981年(昭和56年)看板ベルト一斉返上とIWGP構想に戦々恐々1982年(昭和57年)猪木だけじゃない。藤波、タイガー、長州らがいる!「新日本黄金時代」がピークを迎える1983年(昭和58年)力道山時代を超越した! 「第1回IWGP」狂騒曲3章 日本人の戦国時代!(1984年~1988年)1984年(昭和59年)大量離脱が起きても揺るがない新日本の底力に脱帽1985年(昭和60年)ブロディとの「一期一会」にまつわるバーバラ夫人の貴重な証言1986年(昭和61年)UWFに始まり、前田に終わる。「格闘技」というジャンルが派生!1987年(昭和62年)「初代IWGPヘビー級王者」は3度も決められた! 1988年(昭和63年)昭和最後の年、藤波が猪木に対して見せつけた圧倒的な自信【注意】発送後の返品・返金は原則不可とさせていただきます。送料は無料ですが、通常3~5日でのお届けとなります。

shupuro.base.shop

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事