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2023-03-29

アントニオ猪木がドリー・ファンク・ジュニアとの歴史的NWA王座戦を前に、痛々しい姿で登場! 猪木写真は語る【週刊プロレス】

1969年12月2日、アントニオ猪木はNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアと60分ノーフォール引き分けの歴史的名勝負を繰り広げた

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 1969年11月29日、日本プロレス・静岡市駿府会館大会に登場した猪木の左手の中指と薬指にはガッチリとテーピングが施されていた。前日の試合で左手中指を骨折する大ケガを負っていたのだ。前日の試合とは、28歳の若きNWA世界ヘビー級王者ドリー・ファンク・ジュニアの初来日第1戦。蔵前国技館でジャイアント馬場&猪木vsドリー&ダニー・ホッジのインターナショナルタッグ選手権が行われた。馬場&猪木が王座防衛に成功したものの、猪木は試合中に指をケガしていた。

問題は、数日後の12月2日、猪木が大阪府立体育会館で王者ドリーに挑戦するNWA世界ヘビー級選手権を控えていたことだ。同一戦はルー・テーズvs力道山以来12年ぶりのNWA世界戦であり、猪木にとっては初の挑戦となる。しかも、翌3日にはドリーvs猪木の勝者に馬場が挑戦することが決まっていた。放送開始したばかりのNETテレビ(テレビ朝日)『ワールドプロレスリング』の看板スターとして、日本プロレス不動のエース・馬場を超えるためには、絶対にヘマができない大一番、一世一代の晴れ舞台だった。しかし…テクニカルなレスリングを身上とするドリー相手の王座戦において、物をつかむ手の指の骨折は致命的に思われた。

NWA世界戦当日、猪木は痛み止めの麻酔薬を打って、指にテーピングをして出場。試合は猪木とドリーが一進一退、息つく間もないスピーディかつテクニカルな攻防を展開。3本勝負にもかかわらず、両者ともノーフォールのまま60分闘い切って引き分けるという、日本プロレス史上に残る名勝負となった。

左手のハンデをものともせず歴史的名勝負を生み出し、大いに名を揚げた猪木の姿は「不屈の闘魂」そのものだった。

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