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2023-05-01

新日本のヘビーvsジュニア王者対決の歴史!“史上初”は幻に終わり仕切り直しで半年後に実現…そのカードとは?【週刊プロレス】

橋本真也vs獣神サンダー・ライガー

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5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会で階級を超えての2冠王者「ジュニアヘビー級のベルトを持ったまま、IWGPヘビー級のベルトも持つ」を夢に掲げ、その夢を実現させるべく、IWGPジュニアヘビー級王者の高橋ヒロムがSANADAの持つIWGP世界ヘビー級王座に挑戦する。今回は半世紀を超える新日本プロレスで、ヘビー級vsジュニアヘビー級の闘いを記録で振り返ってみる。

旗揚げ以来、ヘビー級vsジュニアヘビー級のシングル対決は、アントニオ猪木vs藤波辰巳(当時)などリーグ戦公式戦などで実現しているが、ヘビー級とジュニアヘビー級の王者対決を最初に掲げたのは1994年2月24日、東京・日本武道館でおこなわれた橋本真也vs獣神サンダー・ライガーだった。

同大会はファン感謝デーとして開催され、入場料金は通常の特別リングサイドの半額で均一料金。またカードも通常では組まれないドリームマッチとして無差別級対決をメインでマッチメーク。ほかに安田忠夫のデビュー戦が組まれた程度で、王者対決1本で勝負した大会でもあった。

ライガーはヘビー級用として短い角、目の部分のメッシュを取り除いて視界を良くしたマスクで登場。上半身裸のコスチュームで「あれほどの体をコスチュームで隠しているのは惜しい」といわしめるほど筋肉隆々の肉体を披露して臨んだ。

約40kgの体重差をものともせず、完璧なライガーボムで“破壊王”をマットに叩きつけ、3カウントこそ奪えなかったものの、投げっぱなしでなく人間橋で固めたジャーマン・スープレックス“ホールド”を決めている。最後はヘビー級の意地を見せつけた橋本の垂直落下式ブレーンバスターでマットに沈んだが、ジュニアながらヘビー級に十分通用する実力を見せつけたことで、今なお語り継がれる闘いとなった。

初めてヘビー級とジュニアヘビー級の王者対決がおこなわれたのは、1980年6月5日、東京・蔵前国技館。「第3回MSGシリーズ」最終戦の特別試合として、藤波vsボブ・バックランドのWWF王者対決が組まれた。

実は前年の1979年12月5日、両者は一騎打ちをおこなっている。会場は、藤波がデビューした岐阜市民センターだった。

藤波はその前年の1978年1月23日、バックランドはその翌月の2月20日、ともにWWWF(当時、現WWE)の王座に就いた。藤波24歳、バックランド28歳。若き王者の誕生で、米マット界は一気に世代交代した。藤波は将来のヘビー級転向を見据えており、階級は違えど若い王者対決は注目を集めてしかるべきだった。

しかしこの一戦はノーTV。しかもバックランドは直前の徳島市立体育館で猪木に敗れて王座から転落。ジュニア王者・藤波vs無冠・バックランドのシングル対決となり、ヘビー級とジュニアヘビー級の王者対決は幻となってしまっている。

結果、藤波時代の王者対決は1回きり。“長すぎたショートアームシザース”に象徴される両者の一騎打ちはその後、藤波がヘビー級に転向してから5度おこなわれている。

橋爪哲也

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