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2023-08-13

“武藤敬司イヤー”の折り返し点となった第5回G1 CLIMAXで初採用された特別ルールとは?【週刊プロレス】

蝶野正洋vsリック・フレアー

5回目を迎えた1995年の「G1クライマックス」は、両国5連戦で開催され、武藤敬司がIWGPヘビー級王者としては初となる優勝を飾り、表彰式での「武藤敬司はますます驀進します」の言葉が印象に残った大会だった。2ブロック制、8選手によって争われたが、各ブロック上位2選手が予選を通過して決勝トーナメントに進出する方式。そして、同点で並んだ場合の特別ルールが採用された。

前年の第4回よりもさらに出場選手を絞って開催された第5回G1クライマックス。ベテラン勢はエントリーされず、闘魂三銃士(蝶野正洋、橋本真也、武藤敬司)と佐々木健介、平成維震軍を代表して越中詩郎、第三世代から天山広吉、レギュラー外国人代表としてスコット・ノートンが出場したが、目玉となったのはリック・フレアー。全米だけでなく世界をサーキットして防衛戦をおこなう“世界最高峰”といわれた時代のNWA世界ヘビー級王者が日本のリーグ戦に参加するのは、新日本プロレスにおいては1980年、第3回MSGシリーズに参戦したダスティ・ローデス以来、15年ぶりとなった。

フレアーに限らず、NWA世界王者の印象は“とにかく負けないレスラー”。決して自身のスタイルを崩すことなく、のらりくらりと相手の攻撃をかわしながら長時間の闘いに持ち込み、勝負どころでは一気に畳み込んでくる。ピンチに立たされると場外戦に誘い込んでの両者リングアウトや故意の反則負けでベルトだけは渡さない。王者時代はその闘いぶりから、“綱渡り王者”や“ダーティーチャンプ”と称された。

そんなフレアーも王座から転落し、1991年9月にはWWF(当時、現WWE)に移籍。1993年6月、WCWに復帰すると、ほどなくしてWCWはエリック・ビショフ体制となった。

AWA時代のマサ・サイトーと親交が深かったビショフ副社長は、新日本との提携を強化。WCWに新日本のジュニアヘビー級スタイルを導入し、アメリカのプロレスファンに日本スタイルを浸透させていった。その提携強化の一環として、“真夏の本場所”にアメリカンプロレスの象徴ともいうべきフレアーを派遣してきたのだ。

フレアーと同じAブロックに組み込まれたのは武藤、蝶野、越中と、米マット転戦経験豊富な3選手。

初日、蝶野vsフレアーの新旧NWA世界ヘビー級王者対決は30分時間切れに終わったが、このドローが結果的に明暗を分けることとなった。

ともに武藤に敗れ、越中に勝利したフレアーと蝶野は1勝1敗1分で並んだが、ここで響いたのが「勝利タイムの短い方が上位となる」特別ルール。フレアーが17分17秒要したのに対し、蝶野は11分10秒で料理。蝶野にすれば3日目のメインに試合が組まれていたことも、優位に働いた。

一方のBブロックは橋本とノートンが2勝1敗で並んで決勝トーナメント進出。直接対決では橋本が勝利しているが、この年のルールではそれは考慮されない。結果、橋本が2勝に25分19秒、ノートンは31分37秒かかったことで、橋本が1位通過となった。

ただ、このルールが採用されたのは、この1回限り。1試合だけならともかく、複数試合の合計タイムを計算するのはややこしいことから、現在の「直接対決で勝利した選手が上位」に改正されていった。

決勝は第1回以来の三銃士対決となった武藤vs橋本。春先にはヒザの負傷でつまずいた武藤だったが、復帰後にIWGPヘビー級王座を獲得。その勢いのまま、WCW四天王時代には崩せなかったフレアーから初勝利を収めて「G1クライマックス」を初制覇。それまでの“IWGP王者はG1を制せない”というジンクスを破り、「武藤敬司はますます驀進します」の名言を残した。そしてその言葉通り、新日本プロレス史上最大の対抗戦となった10・9東京ドームで髙田延彦に“純プロレス技”足4の固めで勝利してUWFを葬った。

橋爪哲也

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新日本プロレス50年物語第2巻 平成繁栄期 | 週刊プロレス powered by BASE

四六判並製/320ページ『新日本プロレス50年物語』シリーズとは?新日本プロレス50年の壮大な歴史を3つの時期に分け、それぞれの時代をよく知る3人の筆者が三者三様の視点から出来事の背景やドラマを掘り下げる。歴史を読む!全3巻。『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期』の内容は?東京ドーム初進出の1989年(平成元年)から暗黒期・模索期の2008年(平成20年)まで。『東京スポーツ』紙で1990年代~2000年代初頭にかけて新日本担当記者として巡業に帯同し、さまざまな出来事を目撃・取材してきた筆者が、当時の取材メモを片手に、平成新時代の新日本の繁栄ぶりと転落の背景を記す。各年ごとの「解説」と、各年をより深く理解するための「キーワード集&こぼれ話」の2つのコーナーを通じて、平成新日本の豊富すぎる話題の数々にスポットを当てる。【第2巻のもくじ】1章 ドーム、G1、「1・4」!(1989年~1992年)・1989年(平成元年):プロレス界前人未到の領域「東京ドーム」ならではの苦労・1990年(平成2年):全日本との歴史的対抗戦のみならず歴史的名言の数々も生んだ「2・10東京ドーム」伝説・1991年(平成3年)「G1 CLIMAX」が初開催と同時に一大ブランド化! ・1992年(平成4年):心配の声をよそに、「1月4日」の東京ドーム開催に踏み切る! 2章 平成新日本らしさ、爆発!(1993年~1996年)・1993年(平成5年):東京ドーム、福岡ドーム、G1、両国7連戦…平成新日本らしさが満開! ・1994年(平成6年):天龍に敗れた猪木が、「引退」への一足を踏み出す・1995年(平成7年):UWFインターとの対抗戦が、窮地の新日本を救った!・1996年(平成8年)IWGPヘビー級王座がUWFインターに流出! 橋本、武藤、蝶野それぞれの戦い3章 さらば、「平和と繁栄の90年代」(1997年~2000年)・1997年(平成9年):蝶野&武藤の「nWo路線」と小川&猪木の「プロ格闘技路線」が並走・1998年(平成10年):猪木引退! 平和な90年代は終わり、混迷の時代が始まった・1999年(平成11年):小川〝暴走事件″の混乱と〝劇薬・大仁田″の副反応 ・2000年(平成12年):全日本、UFO、橋本…との複雑な関係の中で4章 混乱・混とん、ここに極まれり!(2001年~2004年)・2001年(平成13年):武藤が全日本のマットで大活躍! ボーダーレスに活躍する選手が続出・2002年(平成14年):武藤、長州、健介…平成黄金時代を支えた人材が続々と団体を去る! ・2003年(平成15年):プロレス路線、格闘技路線、IWGP王座、NWF王座…価値観が乱立する混とん状態・2004年(平成16年):強権発動の猪木、出戻りの長州が新日本マットを蹂躙!第5章 ユークス新日本、再建の時は来た!(2005年~2008年)・2005年(平成17年):猪木がユークスに持ち株を売却! 〝猪木新日本″が終焉・2006年(平成18年):退団者が続出! 藤波の退団は業界外にも大きな衝撃を与える・2007年(平成19年):ユークス新体制下、「無理に背伸びしない団体」に転換・2008年(平成20年):中邑がIWGPヘビー級ベルト騒動をきっちりと鎮火!

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