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2023-12-04

TAKESHITAvsジェリコ戦というブランドをクリエイトし続ける段階へ。アフター・ドラマティック・ドリーム――あの日、KONOSUKE TAKESHITAが感じたこと

DDT11・12両国でジェリコと一騎打ちを闘ったTAKESHITA

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11・12両国国技館でクリス・ジェリコとシングルマッチを実現させたKONOSUKE TAKESHITAは、その余韻に浸る間もなくアメリカへ“帰国し”AEWにおける日常へと戻っていった。あれから数日が経ち、本人の中であの一戦がどんなものとして残ったのかをZOOM取材で聞いてみた。(聞き手・鈴木健.txt)


子どもの頃に見たジェリコと
違うとは1ミリも思わなかった

 

――クリス・ジェリコ戦を終えてアメリカに戻りましたが、AEW内での評価はどんな感じですか。

TAKESHITA なんらかの手段で試合を見てくれたらしくて、帰って一発目のショーではけっこうみんなから「すごかったな!」という感じで声をかけられました。TAKESHITA とジェリコがシングルでやったらどんな試合になるんだろうっていうのは、選手たちも気にはなっていたとは思います。

――改めてプロレスラー・KONOSUKE TAKESHITA をAEWのボーイズたちに提示した場になったのではとも思います。

TAKESHITA  そうですね。ただ、試合のクオリティーっていう部分では負けないつもりで常に試合はしているんで、ジェリコ戦だからということでいつもと違う特別なことをやろうと思ったわけではなくこの1年、こっち(アメリカ)やってきたことを、もっと言えば、ここまでの11年間DDTのレスラーとして築いてきたものをぶつけただけですけど、まず何よりもクリス・ジェリコをDDTのリングに上げることができたのが、僕としては大きかった。それだけにこうして試合を終えてホッとしたと言ったらアレですけど、今回に関しては海外から選手を呼ぶことで考えられるいくつかの問題というのがずっと頭をよぎっていました。それこそ飛行機のトラブルやビザの問題で来日できなくなったらとかね。なので、正直なことを言ってしまうと無事に終わってよかったのひとことに尽きますね。

――プレイヤーとしてジェリコを味わったことに関してはどうでしょう。

TAKESHITA  僕が子どもの頃に見ていたクリス・ジェリコではなかったなあ、やっぱり53歳になっているんだなあ…というようには、試合をしていて1ミリも思わなかったです。そこはすごいなと思いましたね。プロレスって、子どもの頃に見ていた選手と闘える可能性があるところが面白いわけで、ほかのスポーツだとなかなかそうはいかない。僕自身、プロレスラーになって一番よかったと思えて夢を感じるのはそこなんです。その中で闘ってみたら子どもの時に見ていたのとは違うなという選手も中にはいるんだけど、ジェリコは見ていた時のまんまで、だからこそ逆に闘いやすかったですね。

――記憶の中にあるイメージ通りだったから。

TAKESHITA  そうそう。実際、ウォールズ・オブ・ジェリコもライオンサルトもコードブレイカーも全部出たわけだし、技だけをとってもあの頃のままでしたよね。

――改めて考えるとそれってすごいことですよね。フィジカルモンスターを相手に53歳の人間が体力的に見劣りしない闘いをしたわけですから。

TAKESHITA  試合を見てくれた人がどういう感想を持ったかはわからないですけど、そんな相手とやって竹下幸之介の試合を貫けたと自分自身は思ったんで、そこは自信になったというよりそういうステージまでに自分が来ているっていう確信が持てました。

――あの日は全12試合あったんですが、TAKESHITA vsジェリコ戦だけが独特のリズム感で、激しい攻防や大技が出ても見ていて心地よかったんです。その感覚は、WWEの日本公演の時に味わうものに似ていました。

TAKESHITA  その心地よさというのは…これは今回の両国に限ったことではないんですけど、特にAEWにいって一つの大会で5試合か6試合、ペイパービューだと10試合が組まれたとして、その中で「TAKESHITAの試合はちょっと違うな」というのを見ている人たちに感じさせたいというのが僕の中にあって。全試合の中に埋もれてしまうのではなく、そのショーを見終わって試合順に関わらず自分の試合を思い起こしてもらえることをずっと心がけてやってきて、今回はTAKESHITA vsジェリコ戦でしか見せられないものであるとか、ほかの11試合にないものを見せようという意識がありました。もっと言うなら、ダブルメインイベントとされたクリス・ブルックスvs上野勇希はこうなると予想して、その逆をいくことで差別化を図るというのも考えました。

――あの心地よさこそがアメリカンプロレスの間合いでありテンポであって、トラディショナルなリズムをKONOSUKE TAKESHITAがまとえているところが印象に残ったんです。

TAKESHITA noteにも書いたことがあるんですけど、僕はリズムってプロレスではかなり重要な要素だと思っていて、大事にしていることの一つです。プロレスにおけるリズムは音楽で言うところの絶対音感のようなところがあって、僕の秀でているところとしてフィジカル面を評価してもらうことが多いんですけど、自己評価をするなら僕はリズム感だと思っているんです。ある程度いろんな選手のリズムと合わせられる一方で、自分のリズムも持っているところが実は強みだと思っているんで、そこはコントロールできていたと思います。

――ということは、ジェリコのリズムに引き込まれた、あるいは寄せたわけではなかったんですね。

TAKESHITA  そうです。もともとアメプロのリズムはこういうものなんだろうなっていうのが頭の中にあって、それがAEWにいって実体験したことにより学ぶことができた。だから日本に帰ってきてやってきた試合はああいうリズムになっていると思うんですけど。

――そうですね、出す技は変わらずとも間合いの取り方は以前と比べて違っているなと思っていました。

TAKESHITA  まあ、その全部が全部正しいかといったらそういうわけではないんですけど、僕の中ではそういうリズムを見つけたことでDDTでのシングルマッチを見ていると間延びのようなものを感じるようになりました。

――むしろ日本の方が技数は多いのに。

TAKESHITA 長いなーって。それは、試合時間の長さの話じゃないんですよ。短い試合時間でも長く感じてしまう。こっちはテレビマッチで試合をしているわけじゃないですか。コマーシャルのありなしも関わってくるし、チャンネルを変えられたら一番ダメなんですよ。そういうのを意識しながら闘わなければならない。日本のプロレスはライブのためのプロレスじゃないですか。お金を払って見に来てもらっているから、長かろうが短かろうが最後まで見てくれるのが前提ですよね。それに対しテレビは飛ばし見されたり早送りされたりしないプロレスを心がける必要がある。そんな環境の中で1年半やってきたら、リズムのいい試合が身につきます。

 

何もしていない時間で
どれほどカメラを奪えるか

 

――本当の意味で一秒たりともリズムに狂いが生じない、つまりは気が抜けないプロレスですね。

TAKESHITA 僕は体力に自信があったんですけど、竹下幸之介のプロレスをテレビマッチでやるのって不可能に近くて、人間の体力のキャパを超える試合になるんですよね。日本のリングではバテバテになるまで疲れたことってここ何年もなかったのが、アメリカにいってからの大きな試合は全部、本当にマラソンを走り終わった時ぐらいの疲労感で動けない。控室に戻ってもしばらくは立てない。それはダメージというよりも単純に体力です。

――日本の時よりも動き回っていないにも関わらず体力を消耗すると。

TAKESHITA わかりやすく言うと体力を回復させる時間がない。倒れている時でさえ全身指先にまで神経をいき届かせているんで、やっぱりすごく疲れる。もちろん体力を上げるトレーニングはしていますけど、それに関して日本で悩むことなんてなかったですから。アメリカに渡ってから何ヵ月か経った時に、橋本千紘に体力のつくトレーニングメニューを教えてもらって、それをやっていました。

――そういう話を聞くと、テレビマッチのスペシャリストであるジェリコとリズムがマッチングできたという事実は大きいですよね。

TAKESHITA そうですよね。仮に自分がずっと日本にいた中で今回の試合が組まれたら、そのリズムに引っ張り回されて何もできなかったんだと思います。こういうリズムだよなってわかった上でできたので、先ほど言った「やりやすかった」というのはそういう意味なんですけど。

――他のスーパースターにはないジェリコならではのサムシングは何か感じましたか。

TAKESHITA キャリアの最初の方で日本のスタイルを学んでいるというところで、ファイティングスピリット…日本語にすると闘魂ですよね、それを常に持って試合をしている選手。アメプロ=エンターテインメントっていう見方が強いですけど、その中でもプロレスは闘いなんだというのが根本にある。今まで対戦してきたアメリカ、カナダ、イギリスといった国の選手たちの中でもジェリコからはそのメンタリティーを強く感じました。

――技ではなく姿勢。

TAKESHITA  日本のプロレスを経験し、なおかつリスペクトしているかどうかでスーパースターの中でも変わってくると思うんです。ジェリコに近いものを感じたのは、やっぱりブライアン・ダニエルソンやジョン・モクスリー、もちろんケニー・オメガといった日本を知る選手ですから。それがある人とない人の差は大きいと思うんです。

――ジェリコのような世界的な存在の人間と同じステージ上がったことで見えたものはありましたか。

TAKESHITA プロレスの試合において技を出している瞬間や、やられている瞬間以上に何もしていない時間の方が長いんですよね。立っているのも歩いている、寝ている、倒れている…それが、今の時代はハイライト動画としてまとめられてSNSとかに上げられるわけですけど、実際のところそういうシーンはカットされる時間の方が長い。そこで、何を見せるかに関しては、あのクラスは一枚も二枚も上手なんだって思いました。ほとんどの選手は、どういう技を出そうかとか動くことに関してしか考えないですけど、そこは相手も同じであって、それ以外のところでどれほどカメラを奪えるかなんですよね。カメラに撮られれば撮られるほどテレビに映っているわけですから、そこの闘いもある。そういうのは日本のプロレス文化にはないところで、今の日本の現役選手でそこまで考えているプロレスラーって一握りしかいないと思うんで、これはさっきの話と逆になっちゃうんですけど、アメリカのテレビマッチを経験しているかどうかで、プロレスに対する向き合い方の視野が広がるというのはあると思います。今なら中邑真輔さん、戸澤陽さん、昔だったらTAJIRIさんになるんでしょうけど、今の二十代の日本人選手がテレビマッチをやっているところ…WWF、AEW、ROH、Impact…TNAですか、そういうところに飛び込んでいっていいんじゃないかって、経験しているからこそ思うんです。

――ウォールズ・オブ・タケシタを本家に決めることができました。

TAKESHITA 「みんな見てくれ!」って思いながら決めていましたね。こっちでも掟破りでやる選手はなかなかいないんで、あれは決めたかったです。

――決めている時にジェリコの感情の動きは感じられましたか。それとも動じなかったのか。

TAKESHITA あー、あそこからもう一段階、ギアが上がったような感覚はありました。試合中に認めてもらったじゃないけど「こいつ、やってくるのか」とは思ったんじゃないですかね。

――本当にあれをやれるかどうかで、分かれますよね。ジェリコはTAKESHITAがウォール・オブ・ジェリコをウォールズ・オブ・タケシタと名称を変えて使っている情報は持っていたんですかね。

TAKESHITA 前に僕の方から話したんで知っていました。だからこそ、ここで本当にやってきたかって思ったでしょう。福田洋をギブアップさせた当時の、75キロぐらいでガリガリのものではなく、30キロ増えてもっと重みのあるウォールズ・オブ・タケシタでギブアップさせたかったですよね。

――最終的にはその技で自分がしとめられました。

TAKESHITA あそこでしとめられたことによって、僕の中ではこれで終わりやないんやなって思えました。チャレンジマッチでいいモノが見られたねとかじゃなく、俺はこの続編も見たいし、それがどうなっていくんかなって。

――一度ガードはしたものの、ジュダスエフェクトという最新の技ではなくあの技を執ようにかけてギブアップ勝ちにこだわったあたり、ジェリコのメッセージ性を感じたんです。

TAKESHITA  そこは僕の中でウォールズ・オブ・ジェリコとウォールズ・オブ・タケシタ、どっちの壁が高く分厚いかっていう裏テーマがあって、それを感じ取ってくれたのかなって思える攻め方でしたね。僕もけっこう技は出しましたけど、最終ウォールズ・オブ・ジェリコったし、負けるとしたら自分もタップアウト…いわゆるラッキーなワンツースリーじゃなくて、相手に負けを認めさせるギブアップ技でって考えたら、ジェリコも「じゃあこっちだって」ってなったんじゃないかと思いますよね。

 

上野はあのサイズで無差別級の
闘いにおける説得力を出せるか

 

――そういう意味では会話が成立したんでしょう。それにしても、竹下幸之介が自ら負けを選択するとは。

TAKESHITA  秋山準さんと大田区で初めてやって、フロント・ネックロックでギブアップして以来ですかね(2020年11月3日)。まあ、今のポジションにいると負けることも少なくなってくるんで、こうやって負けを経験させてもらえる人がいるっていうのは、僕としては逆に感謝しているぐらいですよ。それによって、まだまだ自分に伸びしろがあることを実感できるんで。横浜アリーナでの日本公演でウォールズ・オブ・ジェリコを決めている姿を週刊プロレスや週刊ゴングで見ていた自分が、そこをテーマにした試合をジェリコとやれたっていうのも、僕の中でのドラマティック・ドリームですから、その部分ではよかったです。あとは、今のプロレスに対する僕の中での投げかけのようなものがありました。あの日の全12試合の中で“プロレスリング”っていうところでは僕とジェリコの試合がたぶん一番難しかったと思うんです。

――勝敗とは別次元におけるテーマとして。

TAKESHITA  ええ。でも、お客さんがあれほど盛り上がって、熱くなってくれてたっていうのは一つの勝負の結果であり、なおかつどんな答えが出ようともこれからもそこを突きつめようよっていうのが僕の中であったんです。一見さんが見て「なんか面白いけれどよくわからなかったな」というプロレスじゃなくて、あれがこうでここがああでって考えなくても面白くて、それについて語りたくなるプロレス。その上でDDTを見続けてくれている人たちも置いていくことなく楽しんでもらえるもの。映画って、よくわからない状態で見たとしても映画館を出る時には何かしらの感情を抱えていて、一緒に見にいった人とそのあとお茶でもしながら、あの登場人物がどうだったとかって話せるのが楽しいわけじゃないですか。今のプロレスもやっぱりそうあってほしいし、いろいろ語ってもらいたいんで。そういう題材になる試合はジェリコとやってもできたかなとは思っています。よりよい技術と、シンプルを極めるじゃないですけど、現代のプロレスに対するアンチテーゼを持って試合をしていましたね。

――続きがあるとしたら、今度はアメリカで披露したいという思いは?

TAKESHITA  そうですね。海外の人もたくさん見てくれたんで、次はアメリカで見せられればいいんじゃないかと思いつつ、4日後にはストリートファイトルールで当たっていましたけど。シングルマッチを経て、もうTAKESHITAとジェリコのストーリーラインは構築されているって実感できました。オーディンスの中にもそれが植えつけられているのが感じられたし、あとはこの“ブランド”をクリエイトし続けていく段階に入っているんだなと。もうこれからは、TAKESHITAvsジェリコ戦が組まれても唐突感はないと思います。

――ステージが上がった証明ですね。話をDDTに移すと、上野勇希選手がKO-D無差別級チャンピオンになりました。エンディングで祝福していましたが、その事実をどう受け止めましたか。

TAKESHITA  ここからが大変だぞって思いました。けっこう(無差別級初戴冠まで)時間がかかったなっていうのが正直なところで、2016年にデビューして7年ですか、僕的には5年ぐらいで獲ると思っていたし、7年もかかったかって。僕が初めてベルトを巻いたのは4年目で、当時はプロレスの“プ”ぐらいまでしかわかっていなかったから、わからないなりに一生懸命やったっていう感じだったんですけど、それに対し上野勇希はプロレスの“レ”ぐらいまでわかっていると思うし、僕が3度目のチャンピオンになった時ぐらいのステージにいると思うので、本人はわかっているとは思いますけどだいぶ頑張らないといけない位置ですよね。そうじゃないと間に合わないというか、時間は待ってくれないんでね。僕と同じ28歳で、僕が21歳の時から積み上げていったこととこれから向き合わないといけない。それはもう、プロレスラーとして抜きん出るには遅いぐらいですので。

――自分が離れている間のDDTを任せられるなとは思いましたか。

TAKESHITA  それに関してはチャンピオンになったからというよりも、今年の東京ドーム(2・21武藤敬司引退興行)での提供試合を見て任せて大丈夫だって思っていました。そうじゃないと、自分はアメリカにいこうとはなれないんで。あれから9ヵ月ぐらい経ってチャンピオンになったわけですけど、本当ならあの時点ぐらいになっているんじゃないかって思ったぐらいで。それは、D王の優勝戦(2021年12月5日、後楽園ホール)で闘った時からのこれぐらいになるっていう予想だったんですけど、そこから時間がかかった分、取り返してほしいっていうのはあります。ただ…難しいですよね、そこは。なぜなら僕と彼とは体のサイズが違う。僕はずっと、DDTがナメられないように、強いDDTっていうのをずっとうたってきて、彼も心の底に持っているとは思いますけどジュニアヘビー級のサイズなんで、そことの闘いがある。それに関してはジュニアのサイズではない自分がアドバイスできるところはない。ジュニアのサイズの人間が無差別の中でナメられないようにするにはどうすればいいかっていうのは本人が見つけていくしかないし、それが難しい。DDTは無差別が宿命ですから、そこでの説得力ですよね。ジェリコにしても飛び抜けて体が大きいわけではないし、僕が見ていた頃のWWEだとクリス・ベノワやエディ・ゲレロもジュニアヘビー級の身長と体重であってもデッカい選手の中でチャンピオンまでいっている。そういうところから学べるんじゃないですかね。そこは上野勇希が防衛ロードを歩んでいく限りは常に背負わなきゃいけないし、そこまでを見られるだろうから。

――そうしたDDT内での現状を踏まえて、これから自分がやろうとしていることを聞かせてください。

TAKESHITA  今回、ジェリコ戦という夢のカードをDDTで組めて思ったのは、そういう選手と(オーディエンスを)引き寄せられるカードをどんどんやっていくのが自分のやるべきことなんじゃないかって思ったんです。2024年はTAKESHITAとスペシャルな選手が対戦することを、どんどん実現させていこうと思っています。

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