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2023-12-25

シングル未勝利ながら遠藤有栖戦は「プロレス人生を懸けた大勝負」。長谷川美子の履歴書の裏面に刻まれた情念の根源【週刊プロレス】

鈴芽にマフラーホールドを決める長谷川

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ガンバレ☆プロレス年内最後のビッグショー、12・27「BAD COMMUNICATION 2023」後楽園ホール大会が目前に迫ってきた。当日は王者・木髙イサミ(プロレスリングBASARA)に勝村周一朗が挑戦するスピリット・オブ・ガンバレ世界無差別級選手権試合がメインイベントでおこなわれる。

また、かつてDDTを席巻したチームドリフ(石井慧介、入江茂弘、高尾蒼馬)がベルトをめぐって闘うKO-Dタッグタイトル戦(王者組が高尾&翔太)や、ガンプロvsGLEAT全面対抗5対5イリミネーションマッチ、丸坊主にされた復讐に燃える大家健と羆嵐の一騎打ちなど、今年の総決算にふさわしいカードがラインナップされている。その中で「プロレス人生を懸けた大勝負」に臨むのが、長谷川美子だ。

テレビ、舞台、映画などで活動するタレントだった長谷川がプロレスラーとしてデビューしたのは2019年11月。グラビアアイドルや女優経験者を集め、安納サオリ、万喜なつみ(現・なつぽい)、角田奈穂らを輩出した団体・Actwres girl’Zからキャリアをスタートさせた。

 とはいうものの、これといった実績を上げぬうち首の圧迫骨折と頸椎椎間板ヘルニアにより2021年1月から欠場。その間、所属先がプロレス団体としての活動を終了すると、次なるステージとしてガンプロを選び、昨年7・10大田区総合体育館で入団を発表、8・13後楽園で再デビューを果たした。

 間に長期欠場をはさみながらもキャリアは4年となるが、現時点でシングルマッチにおける自力勝利は一つもあげられずにいる。本来ならば“発言権”などない立場であるにもかかわらず今回、東京女子プロレスの遠藤有栖との一騎打ちを熱望し、実現へと漕ぎつけた。

 両者は東京女子10・9たま未来メッセ大会にて6人タッグマッチで対戦。長谷川は、キャメルクラッチで遠藤にギブアップ負けを喫している。

 それまでも東京女子の選手と絡む機会はあったが、雪辱戦をアピールしたのはこれが初めて。つまり長谷川の中で、その時の負けの味は今までとは違う舌ざわりだったことになる。

「その前にも東京女子さんとは、Actwres girl’Z時代の先輩である角田さんや、あとは鈴芽さんともシングルで対戦しました。その時も悔しい思いはしましたけど、遠藤さんに負けた時の試合は団体対抗戦の形だったんです。やっぱり、ガンジョの看板を背負いながら負けるっていうのは…しかもギブアップですから、自分で負けを選んでしまって。

 最後、お互いの目が合った瞬間に『この人と1対1で闘いたい』と強く思いました。これは私の一方的な片思いだと思う。でも、それさえもストーリーの一部になるよう、これから遠藤さんとの物語を続けられるようにここは勝たなければと考えています」

 ガンプロ所属の女子選手たちはガンバレ☆女子プロレス…ガンジョを名乗り、単独の大会をおこなうなど強いこだわりを持つ。東京女子のような独立した団体の形とは違うが、思い入れの深さはそれと同等…だから長谷川からは「看板」という言葉が自然に出た。

 同じ女子プロレスでありながら、東京女子との間には明確な差がある。大会の規模、選手層、メディアへの露出…何もかもが比べ物にならぬほど違うステージは、長谷川の目にまぶしすぎる。

 それまでは、ほかと比較するよりもガンジョという場を唯一無二の存在にしたいとの思いでやってきた。ところが東京女子と絡むうちに団体力の差を如実に感じ、否応なく意識の中へ入ってきた。そんなタイミングで迎えた対抗戦で負けたとあれば、未勝利だから発言権はないなどと言っていられなくなった。

 そこから長谷川は、三島通義・ガンプロ相談役のストーカーと化す。「遠藤さんとのシングルを組んでください。ガンプロと東京女子、どちらのリングでもいいです!」と一度言っただけでは明確な回答を得られず、顔を合わせるたびに同じことを主張。

「組んでください」が、回を重ねるうちに「いつやるんですか?」へと変わり、その熱量に三島氏も押される形で実現したのが今回の一騎打ちだった。これまで対戦したいと思うのは、Actwres girl’Z時代の先輩のようになんらかの関係性がある相手に限られていた。遠藤とは、同じグループでありながら道場における練習時間の入れ替わり時に見かける程度で、会話はしたことがなかった。

「その意味では、今までと向き合い方がまったく違う相手と言えます。東京女子さんのYouTubeチャンネルで『ねくじぇね』っていうベルト未経験の選手をピックアップする動画に遠藤さんが出ていて、2年間ぐらいシングルで自力勝利をあげていないと言っていたんです。

 遠藤さんはプロレスのセンスも運動神経もすごい、天才だ!って私は思っていたのに、そんな方が2年以上も自力勝利をあげられない世界って、どれほどのものなのかと驚くと同時に、自分もずっとシングルで勝てていなかったから親近感が湧いてきたんです。遠藤さんがプロレスラーになる前、テレビに出ていた(水曜日のダウンタウン)のを見て、この人面白いなと印象に残っていた方が遠藤さんだったというのを、最近知りました」

 タレント活動を経験した上でこの道に踏み出た共通項。長谷川がそれまで所属していた場所を失ってガンプロを選択したように、遠藤もWRESTLE-1公式サポーター・Cheer♡1に在籍しながら団体の休止をもってプロレスラーを目指すこととなった。似た境遇の人間とあれば、興味が芽生えるのも当然だ。

 再入団するさい、長谷川は「欠場期間中に先輩が出場したガンバレ☆プロレスの興行へセコンドでつかせていただいてすごく魅力的で、お客様の熱量がすごくて、私もこの団体の一員になりたいと強く感じた」と語っていた。その時点で、東京女子という選択肢はなかったのだろうか。

「当時はいろんな団体を見た上で決断しようと、スターダムさんも東京女子プロレスさんも見にいっていました。その結果、ガンバレ☆プロレスが一番いいって思えたので、決めたらすぐ事務所に電話をかけました。もちろん、東京女子さんを選んだからって入れた保証はなかったわけですし今も正直、羨ましいです。

 でも、ここじゃない方がよかったとは一度も思ったことがないですね。もちろん東京女子さんにも出られるよう頑張りますけど、ガンバレ☆プロレスの長谷川美子として出られるように頑張るものなので」

 それほどのガンプロ愛、そしてガンジョLOVEを持つ長谷川だが4年もの長い歳月、自力勝利を味わえずにいながら続けられるのも興味深い。普通に考えたら、とっくに心が折れていてもおかしくなかった。

 ましてやその間、首骨折といった命にかかわるケガをしているのだ。事実、周囲の人間のほとんどから「もうやめた方がいい」と言われた。

 にもかかわらず長谷川がこだわったのは「一回でも勝つまではやめられない」だった。デビュー戦を迎えた時点で32歳という年齢。おんなの人生であることを思えば、そこには相応の覚悟と自身を突き動かす何かがあったはずだ。

「これほど勝てなくても続けているのは、勝っていないからなのかもしれません。プロレスラーとして生きていこうって決めたのに、自分に勝つためプロレスを始めたのに、負けたまま終わったら今までの時間はなんだったんだってなりますよね。親からもすごく反対されて、精神的に落ち込んだ時はやめた方がいいのかなというのはありましたけど『やめたい!』は一度もなかったです。

 首の恐怖心は今もあります。骨折した時の痛み、痺れて動けなくて吐き気で1週間ぐらい眠れないとかが続いたのを思い出すとやっぱり怖いです。だけど今は、練習で自分を守る術(受け身)を教えていただいたので。年齢も含めて、そこは勝ってから考えたいですね」

 プロレスは、勝敗以外の要素でも評価される幅広いジャンルである。されど長谷川の口からは取材中、一度たりとて「いい試合をしたい」といった言葉は発せられなかった。その代わり、数え切れぬほど「勝つ」の二文字が放たれ、こちらに浴びせられた。

 話を聞くうち、その執着心の根源が知りたくなった。東京女子への対抗意識、遠藤への悔しさ、ガンプロ愛…それらを超越した情念のようなものが伝わってきたからだ。

 つい先日、物販に立った長谷川はファンに対し「また来てください」と笑顔で言った。ところが、帰ってきたのは心臓を刃物でえぐられたかのようなひとことだった。

「勝ってから誘ってよ。負ける姿を見にいくんじゃないんだから」

 言われなくても勝利を目指し全力でやっている。なのに、自分が負ける前提で言われた。ほかにも「なんでギブアップしたの?」「今日の試合、見ていられなかったよ」「何もできねえじゃん」などと書かれた長文のDMが届くらしい。

「とにかく勝たなければ自分の話も聞いてもらえないんだなって思うし、それとともに勝ちへのこだわりが一層強くなりました」

 ガンプロの団体色として、選手も応援するファンもファミリー的な関係性にあると見受けられていただけに、長谷川の告白は意外でもあった。だが、見方を変えればそういう温かい土壌だからこそ「負ける姿を見にいくんじゃない」といった言葉を聞けたのは、むしろプラスに考えるべきだろう。

 ここでまた一つ、引っかかりが生じた。長谷川が口にした「自分に勝つため」の言い回しだ。

 遠藤や東京女子、あるいは観客だけでなく、自分に対しても勝利を求める。おそらく、それこそが彼女の中にある根源中の根源に当たるはず。一息ついてから、長谷川は自身の過去を語り始めた。

「芸能をやっていた時の事務所でおまえはダメだって言われ続けて。どうしても誰かの引き立て役みたいな感じで『おまえは一番になれないんだから、二番手として一番を引き立てろ』って言われて、自信がどんどんなくなってしまって、鬱病になって一回芸能をやめたんです。私の中では、あれは負けだと思いました。1年間、ずっと落ち込んで過ごしたのはもったいなかった、その時間でやれたことがあったのでは…って。

でも、ガンバレ☆プロレスと出逢って性格も変えられたし、キツい言葉も直に受け取るんじゃなくてちょっと変換して前向きにとらえられるように変わってきたので、おまえは永遠の二番だって言われ続けた自分をどうしても変えたい。自分の人生なんだから自分で一番を獲らなきゃどうするんだって、今では思っているんです」

ひどい言葉を浴びせた相手のせいにしたり、ましてや恨んだりするのではなく、自分の負けと受け取った長谷川美子という人間――二番じゃダメなんですかと聞くと、間髪入れず「私は二番をやりすぎました」と返ってきた。こちらへの気遣いと見られる精いっぱいの微笑みとともに。

 長谷川の言う「勝つ」が、プロレスにおける勝負論の価値観とは違った意味も含むことが、これで伝わっただろう。それにしても…テレビやCM、映画に出演し、舞台では主演も務めグラビアタレントとしてはイメージビデオがリリースされるなど、その経歴は人前で何かを表現したいと思う者ならば誰もが羨むほどのタグが並んでいる。

 そんな履歴書の裏面にこそ、プロレスラーとしての支柱があったのだ。ダメだダメだと言われ続けながら表現をやめなかった当時の彼女は、現在の姿と見事なまでに合致する。

「エンターテインメントに携わりたい思いは幼稚園の頃がスタートなんです。私、その時からいじめられっ子で。引っ越ししてきた子は仲間外れにされて集中的に狙われるんですね。あのう、頭にブランコ(の座る部分)を投げつけられました。

 送迎バスで席がないって言われたし…私も明るい性格ではなく地味な人だったので、いじめの対象にされやすかったんです。そこで悔しいって思って、人前で表現するような人間になって絶対に見返してやるっていうところからスタートしたんです」

 わずか5歳の時点で“悔しさ”という感情を味わうのも凄まじい原体験である。小学校に入ってもそうした境遇は続き、上履きや持ち物を隠された。中学、高校でもイジられることが多かった。

 幼少期の楽しい記憶はまったく残っておらず、ブランコを投げつけられた、バスの席がなかった、お弁当が消えたといったネガティブなことばかりが、セピア色の情景として鮮明すぎるほどにこびりついている。そして、長谷川はこう言うのだ。「あの時の悔しさがあるから今の自分があるので、それもありがたかったなって感じます」と。

 見返してやりたい思いが持つ力はとてつもなく、行動力として自分に才能を与えた。小学生の時点でオーディションを受け、そして彼女は望み通り、人前で何かを表現するバスの席を手に入れた。

 もっとも、前述した通りそれさえも順風満帆に歩んできたわけではなかった。プロレスラーの道を選んでからも同じだ。

 自ら「運動神経ゼロ」と言い切る長谷川は、もともとプロレスを知らない女性だった。芸能の仕事をやめようと思ったタイミングで、坂口敬二・Actwres girl’Z代表主宰の舞台へ出演。ラストステージのつもりが、そこで「一回練習に来なさい」と誘いを受ける。

 代表には運動が苦手であることを伝えたにもかかわらず、熱心に誘われたという。そこに何かしらの可能性を見いださなかったら、声はかけなかったはずだ。

 芸能以外の新たな表現の場を求めていたものの、プロレスはまったくの門外漢。しかし、そんな自分も練習を重ねるうちに好きになっていった。

「エンターテイメントの世界の中でプロレスはもう本当にすごいジャンルだと思っていました。たくさんダメだって言われたまま芸能をやめようと決めていて、そういう悔しさもあったので、せっかくプロレスと出逢ったからにはこれを最後の人生として頑張ってみようって考えるようになっていったんです。

 代表にはすごく熱心に誘っていただいて、運動神経がないんですと言っても『やってみて判断すればいいだろう』って言っていただいて。坂口さんはすごいスカウト能力であれほどの先輩方を輩出されていますよね。だから私もその一人になって、坂口さんに恩返しができるようになりたいです。プロレスに出逢わせてくれたのはすごく大きいので」

 悔しさというネガティブな感情から始まったエンターテインメントの道。それがさまざまな人たちによる導きやめぐり合わせの中で、ポジティブなものへと昇華できた。現在の長谷川にとって人前で表現することは「どんなに落ち込んでいても、その瞬間だけ笑顔になって忘れられる」ものに当たる。

 だから、自分も人を笑顔にできるプロレスラーになりたい。多感期に見て、影響を受けたアーティストのSPEEDのように。そのためには「負けている場合じゃない」のだ。

 年齢を思えば10年後も現役でいられるかどうか、それが長谷川の現在地だ。他の選手以上に、残された時間は限られる。

「私は負け続けてきたので、今までベルトがほしいとか、タイトルに挑戦させてくださいという発言ができませんでした。その発言権を得るため…つまり勝利をあげなければ前に進めません。自分の中で、ベルトって最大の目標なので、イコール獲った瞬間に返上して引退することだったんです。でも翔太さんにお話したら、ベルトはそういうものではないって怒られました。それで、ゴールじゃなくてそこがスタートなんだなって理解できたんです。

 他団体のベルトもですけど、私はガンジョのベルトを創りたいと思っていて。ただ人数も少なく歴史も浅いので、今はまだ作ってもらえません。それにはお客さんがコンスタントに入るようになって月に2回、3回と大会を開催できるようになって、他団体選手もたくさん出ていただけるようにならなければ…ガンジョに入りたい人が増えていったら、少しずつ現実的になるでしょう。やっぱりガンジョは唯一無二でいたい」

 これで少なくとも、ベルトを巻くのが最終目標ではなくなった。スキップさえできず、でんぐり返しをやると目が回り気持ち悪くなるような自分がそれを実現させたら、長谷川はその事象をどのように表現するのだろう。

 おそらく、奇跡という言葉は使わないと思われる。なぜなら、ガンバレ☆プロレスが不可能ではなく可能と教えてくれたからだ。

「私の中でプロレスについて委縮する部分がずっとあって、前の団体にいた時も先輩から『あなたは誰と闘っているの?』って言われたぐらい、もう永遠に萎縮し続けるものだとばかり思っていました。でも今は、自分を少しずつ解放できてきたかなって感じています。みんながプロレスと真剣に向き合って、人と人で真剣に向き合って、大家さんは他団体の選手も含めて全員の試合を見ていてひとことくださるんです。

 そういうところでガンプロは温かい家族だし、そういった環境に私は救われていると思います。だから、環境に悩む方がいたらガンバレ☆プロレスに一度、練習に来てください。精神面で安定します。そして、一緒にプロレスをやりましょう」

 一番になれないと言われ続けた彼女の、プロレス人生を懸けた大勝負――今、長谷川美子の精神は、強い。 (取材&文・鈴木健.txt)

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