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2024-03-19

「プロレスは仕事ではなくライフワーク」…四十代で和田拓也に訪れた出逢いと導き人【週刊プロレス】

和田(左)と勝村

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勝村周一朗との最高峰を懸けた一騎打ち
「ガンプロは自分の想像以上のことが起こる」


 2013年にDDTの別ブランドとして旗揚げし、市ヶ谷・南海記念診療所で73人の観客とともに「プロレスをメジャースポーツにする」ことを掲げ、近年では大田区区総合体育館にまで進出するなど躍進を続けてきたガンバレ☆プロレスが、CyberFightからの独立を1月31日に発表。3月17日には後楽園ホールで代表の大家健が高木三四郎と区切りの一騎打ちをおこない、恩人とも言える大社長より卒業証書が贈られた。

 4月以後はCyberFightグループの後ろ盾に頼らず、団体を継続させていくことになる。翔太をはじめ何人かが新しい道を模索するべく退団という選択をしたが、ほとんどは所属選手として残り、後楽園でも大家のセコンドについて集結、力の強さを見せつけた。

 Cyber体制の大会は3・20高島平区民館と、3・28上野恩賜公園と残すところ2つ。中でも目前に迫った20日は独立前最後のタイトルマッチ、スピリット・オブ・ガンバレ世界タッグ選手権試合がおこなわれる。

 第2代王者組の勝村周一朗&和田拓也は、昨年7・9大田区ビッグマッチで佐藤光留&前口太尊から奪取したあと4度の防衛に成功。

元修斗バンタム級王者とウェルター級キング・オブ・パンクラシストのコンビとあれば強くて当然なのだが、そういった視点でこのチームを見るガンプロファンは、今となってはあまりいないと思われる。

 それほど二人は、ガンプロに溶け込んでいる。格闘技の技術による刃物の切っ先のような緊張感と、プロレスのリングだから表現できる開放的なスタイルを併せ持つのが魅力となり、ファンに刺さるのだ。

 勝村は団体最高峰のシングル王座、スピリット・オブ・ガンバレ世界無差別級との2冠王であり、3・9横浜ラジアントホールではタッグ王者同士によるタイトル戦を実現させ、盟友をニンジャチョークで仕とめた。両者はアマチュアリングス時代から30年近くの付き合いがあり、総合格闘技でも切磋琢磨してきた。

 先にプロレスのリングへ上がり、ガンプロへ和田をいざなったのも勝村。過去にシングルマッチで対戦はあったものの、やはりベルトを懸けて1対1で渡り合ったのは特別の感慨があっただろう。

「まず、ガンプロへ上がるようになって1年でここまで来るとは自分自身、思っていなかったんで、驚いているのが正直なところです。ましてや勝村さんとメインでタイトルを懸けてやるなんて想像もしていなかったですから。

 本当に、ここのリングは自分の想像以上のことが起こる。今はタッグのベルトを持っているのもあって、主要なところでやらせてもらっていますけど、それも信じられないぐらいです」

 まずは勝村戦を振り返るところから始めようと話を振ったところ、いささか意外な答えが返ってくる。和田拓也ほどの実力を備えた男であれば、自信満々にプロレスへ足を踏み入れたと思っていた。

 実際は、今でも「1年前の想像以上の手応えこそありますが、毎回が反省ばかりです」が現状らしい。そこには謙遜も含まれると思われるが、和田の言葉からは格闘技における強さが必ずしもプロレスにおけるそれと合致しない難しさが、にじみ出ている。

「強さに関しての自信はありますけど、今のようにレギュラーで出られるというのは想像していませんでした。僕も、もう46歳なんで時間的にどこまでやれるかというのもある中、若手選手と同じように一試合ずつ考えてやっていかなければ向上していけないと思うんです」

 純然たる若手であれば、先輩たちがなんの気兼ねもなくアドバイスしてくれる。それを糧に自分で考えてよい方向に進めばいい。和田の場合、格闘技の世界で輝かしい実績を残し、現在もアスリートとしての強さをまとっている。

 たとえ気づいても「和田さんほどの人にアドバイスするなんて…」と周囲はなるだろう。そこは自身も感じるようで「前だったら佐藤光留さん、今は勝村さんにアドバイをもらえますけど、それ以外となるとなかなか…。怒られたりすることがないのは逆にまずいって、自分でも思うんですけど」と少しだけ視線を落とす。

 むしろどんどん言ってほしい、なんなら怒られてもいいと思うのだが、確かにいくら代表だといっても大家が和田に(二人は同級生)アドバイスするシチュエーションは考えにくい(その代わり、ゲキはいくらでも飛ばすはず)。そうなると、自主的な研究が主となる。

 そうやって1年以上、プロレスと向き合ってきた。日常の中へある格闘技と比べると練習は時間的に、それほどできる状況にない。心掛けているのは、映像によるイメージトレーニング。

 ほかの選手の動きを穴が開くほど見て、自分も実戦でやってみる。WRESTLE UNIVERSEでプロレスリング・ノアの試合をよく見るそうだが、見る側からやる側になっての気づきが多いのはエディ・ゲレロやディーン・マレンコのレスリングだという。

「WWEの試合ってあまり見なかったんですけど、このトシでやることの面白さがわかった上で見たら、よさが理解できるようになった。こんなすごいプロレスを彼らは僕らが中高生の頃にやっていたんだって、改めて思いましたね」

 職人気質のプレイヤーに魅了されるのは、自分もカテゴライズすると“そっち側”だと思うから。共通項である格闘技の技術とともに、そうやって研究を重ねてきたものを勝村にぶつけていったのが、3月9日のタイトル戦だった。

 気がつけば、どっぷりとガンプロへ浸かる自分がいる。中学の頃、一度はあこがれた世界だが、やはり見るとやるとではまったく違った。

「ある意味、格闘技の方が楽だなってプロレスをやったことで思いましたね。僕の場合、始めたのが遅かったのもありますけど、技の斬れ、美しく見せる動きというのが難しい。格闘技は上を獲って殴れば勝てる、それ自体はすごくシンプルで簡単。もちろん成功させる上での技術は必要ですけど、その技術を備えたら最短で決められる。

 あとは、そういった格闘技に関することを長くやってきて、当たり前になったものとは違う作業をやる難しさも感じます。でもだからこそモチベーションになっている。全然ヘタだしきれいじゃないけど、それも含めて面白いと思えるんです」

 人生の折り返し地点をすぎた四十代というタイミングで、これほど自分を注ぎ込める対象に出逢えたのは喜ばしい。もしも二十代の時点でこの世界に足を踏み入れていたら、また違った位置づけになったはずだ。

 
総合格闘技vs学プロという真逆の
バックボーンによるタッグタイトル戦

 

 小中学生時代の和田は三沢光晴、川田利明、闘魂三銃士、獣神サンダー・ライガーらにあこがれ、プロレスラーになりたくてレスリングを始めた。ところが、やっているうちに格闘技人気が高まってきたため、気持ちがそちらへ向いていった。

 フジタ“Jr”ハヤト、竹田誠志、芦野祥太郎、本田竜輝らを輩出した名門・自由ヶ丘学園でレスリングに没頭していた頃にパンクラスが旗揚げし、アメルカではUFCがスタート。やがてPRIDEがメガイベントとなり、総合格闘技が市民権を得るようになった。

 プロレスファンから、格闘技の強さを求める道にシフトするアスリートが数多くいた時代。専門誌を見て入門テストの情報を拾っていた和田だったが、身長規定の壁が立ちはだかった。

「それに対し格闘技は階級別なんで、小さくてもプロになれるのに惹かれました。ファンの頃は、全日本プロレスを受けたいと思っていたんですけど…」

 中学時代の同級生・青木篤志は高校から別の道を歩み、自衛隊を経由しプロレスラーとなった。その姿が羨ましく映ったかと聞くと「羨ましいというよりも、競技は違えど同じプロの世界で同じ時期に闘えたのが嬉しかったです。しかもお互い、実績もあげられたし」と振り返る。

 その青木が、ノアを離れ全日本所属となった時は運命の巡り合わせを感じた。そこからさらに糸は伸び、2011年に格闘技を引退していた自分をプロレスと結びつけた。

 佐藤光留が主宰するハードヒットのリングに青木の存在がなかったら、少年時代にあこがれた場所へ到達しなかった。勝村の存在もそうだが、和田の人生にはここぞというところで導く人間が立っている。

「それも格闘技の世界でちゃんとやってきたからだと思うんです。そういうものの積み重ねによって人との関係も築かれて、自分があこがれていた世界に導いてくれた。ガンプロへ上がるようになったあとも、中途半端なままやめていたらベルトを巻くこともなかったでしょうし」

 2023年1月28日、和田にとってのガンプロ初戦は、勝村によるプロデュース興行。自身も同じく初めてそのリングへ上がった時に用意されたのがシバターとのタッグマッで、2戦目はミスターNOと、格闘技畑でやってきた人間にとって次元の違いすぎるカードで試された経験を踏まえてチョイスした相手は、香港国際警察マンだった。

 洗礼を浴びた和田は「この1年3ヵ月で、あれがベストバウト」と言い張る。そこから一つずつ、ふり幅の広い命題を提示され、自分なりに解答を出しタイトルホルダーとしての“役どころ”を全するのだ。

「ロマンスドーンの二人っていうのは、僕が離れて見ていなかった時のプロレスを知っている。その意味で、今まで対戦していないタイプの強くて巧いチームですよね。僕なんて、やっていてわけがわからなくなるぐらいの連係、技術がある。聞いたら学プロ時代以来の付き合いということで、こっちは格闘技時代から。その二つのチームがぶつかるあたりがガンプロだと思うし。

 格闘技と学プロ、真逆のバックボーンを持つチームがやるわけですから、その違いをここで見せなければ。僕と勝村さんはそれほど連係もないので、個々の技術で勝ちを獲りにいくのみです。僕は格闘技の頃も相手の研究をして臨むタイプ。高尾選手は初めてだし翔太選手もそんなやっていないんで、当日までちゃんと準備してリングに上がります」

 2006年、18歳の頃に学生プロレスで出逢った高尾と翔太は、アマチュアとして「マッスル」のリングへ上がり、プロ入り後は別の団体で活動しながら今、同じコーナーへ立つようになった。勝村&和田がガンプロのタイトルなら、こちらはDDTでKO-Dタッグを獲得。

 確かに、和田自身が認めるようにチーム力、プロレス脳に詰まったアーカイブ量、経験値は圧倒的に王者組を上回る。だからこそ、勝村との関係性の濃さを武器にすることで、ロマンスドーンを超えようというのだ。

「今回が独立前最後のタイトルマッチになるわけですが、1年3ヵ月とまだ短いながらガンプロでやってきて、今まで一緒に仕事をしてきた人とできなくなるのが残念との思いがあります。それは選手だけでなくスタッフさんも含めてです。でも、こうして上がらせていただいている限りは、僕も(独立するほどの)熱意でついていくのみ。僕なりのガンプロに対する仁義があるんで」

 独立後のガンプロとの関係については「ついていく」という言い回しをした和田。字ヅラ的には他人任せに受け取られるかもしれないが、声質から伝わってきたのはむしろ「食らいつく」といった強い意志の方だった。

 ガンプロに対する思い入れが高まり所属を選択した勝村に対し、和田は今もフリーランスの立場。それほどの愛着が芽生えれば同じ道を希望しても不思議ではなかったし、むしろ歓迎されるはずだ。

「僕は昔から集団で行動したり、みんなでワイワイやったりする方じゃなくて修学旅行にいかないタイプですね。ガンプロってやっぱり、みんなで楽しくっていう団体だと思うし、そんなところに自分のような人間がいて大丈夫なのかなとも思います。明らかに僕だけ違う。

 勝村さんはいろんな人とのかかわり方がうまいでしょう。僕は、相手からしたら…たぶん、怖いんだろうな。そんなつもりじゃないのに、警戒されているような。でも仲間だと思えるし、愛着はやっぱりありますよ」

 組織にはそういう人間が、一人いた方が面白い。団体と仲間たちに対する思い入れと、自身にとっての本来の性分が並行して保てているのだから、むしろ理想的な距離感の持ち方ではと思う。

 大家のような必要以上に間合いを詰めてくるタイプとも、関係性が成り立つのだ。グラウンドさばき同様、その点でも和田は業師なのだろう。

 格闘技も続け、他に職を持つ和田だけにプロレスを続ける必然性にはとらわれていない。言ってしまえば、やらなくても食っていける立場だ。

「もし二十代、三十代でやっていたら、食えるようになるべく頑張っていたと思います。でも今は、それで食えるようにとは思っていません。僕にとってのプロレスは、ライフワークになっていくんだと思います。仕事としてだけのものだったらつまらないと思うんですよ。こうやって取材していただいて、お客さんに見ていただいて、評価していただいて、時には泣いてくれて…。 

 そういうことがあるからモチベーションになるわけであって、そこに喜びを感じるんです。格闘技の頃はこれ一本で食えるようになろうというのを目指してやっていたのが、今はお客さんに満足してもらうのが目的です。当時は勝つことだけで頭がいっぱいで、お客さんの存在なんて考えられなかった。でも今は、そこがプロレスをやる理由になっているんですね」

 ハードヒット、ガンプロを経て観客のリアクションによって得られる快感と出逢えた和田。この団体とのかかわりを「ついていく」と表現したその思い、理解していただけるだろうか。

 リングへ上がれるのは50歳ぐらいまでと考える中、この先やりたいのは独立した形でのビッグマッチ。今後、大会場での試合が実現できたら、Cyber傘下時とは別の味わいとなる。

 勝村は大田区初進出の時に、ファン時代のあこがれだった鈴木みのるとの一騎打ちを実現させた。それに対し和田は、先にあげた選手たちがほとんどリングを降りてしまった。

「本音を言ったら、ライガーさんと対戦したかったんですが、ちょっとずれちゃいましたからね。でも、僕はやりたいことがなくなったらリングを降りると思うんで、こうして上がり続けている間は、想像を超えた何かが実現するんじゃないかと思っています。今までがそうだったように――」

(文・鈴木健.txt)

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