「将来の日本代表GK」と騒がれた逸材。 東北フリーブレイズに入団する前、東洋大学1年生から、古川駿は「将来の日本代表」とうたわれたゴーリーだった。
大学4年のインカレを終えると、間を置かずにフリーブレイズに選手登録。地元の八戸出身ということもあり、ファンの高い期待を集めた若手だったのだ。
「東洋大の4年生」の身分だった1年目は1試合のみの出場。フリーブレイズの選手として本格的に動き始めた2019-2020シーズンは、20試合に出場した。GKの先輩・橋本三千雄や畑享和と比べても、帯氷時間はチームで一番、多かった。
意外なことに、古川は学生のころから、なぜか優勝とは縁遠いゴーリーだった。
「東洋ではインカレの準優勝が最高で、春大会も、秋リーグも、僕は1回も優勝していないんです。八戸工大一高でも、青森県外のタイトルでいうと私学大会しか勝ったことがなかった。おまけにフリーブレイズで優勝した経験は、昨シーズンの全日本だけなんです」。その2022年の全日本選手権でも、古川は決勝戦でベンチを外れていた。
さらにいうと、大学でも最初から活躍していたわけではなかった。古川が東洋大学に入った当時、正GKはのちに王子イーグルスに入団する脇本侑也(現・釧路ワイルズ)。4年生の脇本が調子を落とした合間に出場のチャンスをつかんだのが、当時1年生の古川だった。
古川と同じ1年生には、GKとして楽しみな選手が他大学にもそろっていた。インターハイで活躍していた金子将太朗(駒大苫小牧高‐中央大学)、そして高橋勇海(白樺学園高‐日本体育大学)。だが、古川にとって何より衝撃的だったのは、高校では実績のない水戸啓明高からやってきた、法政大学の伊藤崇之の存在だった。
「印象に残っているのが秋リーグ、開幕してすぐのウチとの試合でした。タカ(伊藤)は試合開始から東洋のシュートを止めて、試合に勝ってしまったんです(スコアは法政の4-3。東洋のシュート数は42本。ちなみに法政は22本)。僕は脇本さんの控えでベンチにいて、めちゃめちゃ悔しかったのを覚えているんです。タカが試合に勝って、そして金子も勇海もレギュラーだったのに、僕は控えだったんですから」
東洋-法政の試合が行われたのが、2015年9月21日。それから1カ月経った10月18日の早稲田大学戦で、ようやく古川がスタメンで起用される。この試合で東洋は4-2で勝利。それ以降、東洋のメインゴーリーは古川が務めることになった。
古川はその後、大学2年の夏にUSHL(アメリカ)のトライアウトに参加。7月の日本代表のキャンプにも召集されている。このころの古川は、大学のGKの中で間違いなくトップの位置にいた。
古川に刺激をもたらしたはずの伊藤はそのころ、長いスランプの中にいた。「大学2、3年のときは、暗いトンネルの中にいたような気がします」。そう自ら語っていたように、時たま試合には出ていたものの、心から満足するプレーには至らなかった。
古川が、当時の伊藤の心中を思いやる。
「法政は、タカの2学年下に中島康渡(元ひがし北海道クレインズ)が入ってきて、タカがレギュラーとは決まっていなかったんです。アジアリーグに行きたいという希望があったのは僕も知っていましたが、正直、ちょっと厳しいのかなという印象はありました」
2018-2019シーズン途中に東洋大学からフリーブレイズに入団した古川に対し、アジアリーグからの誘いがなかった伊藤は、プレーの機会を求めて海外へ旅に出ることになる。
移籍した最初のシーズンということもあり、この夏は3番手スタート。10月からスターターを勝ち取り、本来の動きが戻ってきた(写真・横浜GRITS)一番若く、動けるGKが、防具を着られない。 2022-2023シーズン。古川が東北フリーブレイズで3年プレーしたのちに(選手登録してからは4年後に)、晴れて伊藤がフリーブレイズに入団してくることになった。
「同期で同じチームというのは複雑でしたが(笑)、アジアリーグにいったんは入れなかったタカが、海外のマイナーリーグでもまれて一緒にやることになった。本当にうれしかったですし、タカ自身が努力して勝ち取ったものなので、尊敬に値すると思いました」
このシーズン、フリーブレイズは「GK4人制」の中で迎えていた。その4人のゴーリーで最初にスタメンを勝ち取ったのは、26歳の古川だった。
ところが古川は、開幕カードの栃木日光アイスバックス戦で2連敗。翌週の横浜グリッツの初戦では開始5分で3点を失い、サブGKの伊藤と交代する。結局、この日は2-4でグリッツに敗れ、2戦目は伊藤を起用するも、3-6で連敗を喫している。
3週目からは、畑と古川の併用制に。その後は、実績のある畑がメインゴーリーを務めるようになった。チームは開幕から9連敗し、10試合目でやっと初勝利。しかし、その後も連敗が続き、最下位(6位)でアジアリーグを終えている。
昨季のことを、古川が振り返った。
「開幕当初は、同い年コンビのタカと試合に出ていましたが、ベテランの体調が戻ってくると、畑さんがメインになりました。12月の全日本選手権では、今度は橋本さんがMVPを取る活躍で…。僕とタカはフリーブレイズでは一番若いゴーリーなのに、シーズンが進むうちに出番をなくしていきました。試合で防具も着られないことが続いたんです」
今季の全日本選手権では2回戦で敗退。グリッツとしての全国中継デビューは、次回以降に持ち越しになった(写真・横浜GRITS)「フリブレ、やめることになった」「えっ、マジで?」 古川は東洋大学を出て「実質1年目」の2019-2020シーズン、20試合に出場したことは前にも触れた。しかしそれ以降、出場機会が減少してしまう。
「プロに入って最初のうちは、アイスホッケーでお金を稼ぐことに喜びがありました。まして地元のチームですからね。それは今でも誇りに思っているんです。ただ、プロ野球やJリーグ、Bリーグがある中で、アイスホッケー選手はどうしても将来に不安があった。これからの生活がある中で、選手を上がった後はどうすればいいんだろう。そういう気持ちが常にあったんです」。古川は20代前半で結婚して、子供も生まれている。「もう1人じゃないんだ」という思いも、きっとあったのだろう。
そんな折、2020年にアジアリーグに新しいチームが参入する。横浜グリッツだ。平日に仕事をして、ホッケーの練習もする。そして週末は、アジアリーグの公式戦。チームの掲げる「デュアルキャリア」というスタイルは、古川には新鮮に映った。
「仕事をして、ホッケーもするっていうのはどうなの? フリーブレイズにいた最初のうちは、そう思って見ていました。実際、1年目は負けがほとんどでしたからね。でも、2年目、3年目とグリッツは力を伸ばしてきた。僕の中で、グリッツは仕事をやって、でもホッケーだってできるじゃんと思ったんです。これからの人生の選択肢として、興味が沸いてきたんですよ」
横浜グリッツが古川を戦力として欲しがるかどうかは、この時点ではわからない。ただ古川が「オレ、本当は働きながらホッケーがしたいんだよね」という考えを持っていることは、伊藤もなんとなくわかっていた。古川とフリーブレイズとの話し合いが終わるまで、伊藤もそのことは意識的に話さなかったという。
2023年の春、古川のフリーブレイズ退団が正式に決まった。古川が伊藤に打ち明けたのは、4月の初め。クラブがリリースを流す直前のことだった。
「オレさ、今シーズンでフリブレ、やめることになったわ」
「えっ……。マジなの?」
伊藤は一瞬、驚いた様子だった。が、さして慌てている感じでもなかった。少なくとも古川はそう思っている。
一方で伊藤は、その時の様子を「これから2人で、同じチームで頑張ろうという感じだったので、ええっ、出ていっちゃうんだと思いました」と言った。
結局、2人の邂逅は1年で終わりを告げた。新しい仕事、新しいホッケー人生を始めようとしている古川駿。古川の故郷・八戸で、東北フリーブレイズ2年目を迎える伊藤崇之。それぞれに2023-2024のシーズンがやって来ようとしていた。
(中編、終わり)
ふるかわ・しゅんGK。1996年8月29日生まれ。183センチ、80キロ。青森県八戸市出身。八戸ジュニア、八戸東ジュニアを経て八戸二中、八戸工大一高、東洋大学へ進学。大学4年のインカレ終了後、2018-2019シーズンに東北フリーブレイズに入団する。大学在学中から日本代表の合宿に呼ばれるなど資質を高く評価されていたが、2022-2023シーズンで退団。今季から横浜グリッツへ移籍する。当初は3番手スタートだったが、シーズンが深まるにつれて主戦GKへ立場を変えた。背番号は「34」。
いとう・たかゆきGK。1996年4月14日生まれ。183センチ、77キロ。長野県長野市出身。軽井沢グリフィンズ、長野イーグルスを経て、高校は茨城・水戸啓明へ。法政大学を卒業後、フィンランド3部の「レーザーHT」で2年、フランス4部の「シャンピニー・ホッケークラブ」に1年在籍し、2022-2023シーズンより東北フリーブレイズに入団。2年目の今季は、全日本選手権で決勝のマスクをかぶるなど、力をつけている。背番号は「33」。弟は、栃木日光アイスバックスのFW・俊之。