close

2024-11-13

【しゅりんぷ池田のカード春秋】プロ野球90周年カード(第8回)当事者同士が並んで記者会見をした世紀のトレード

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • line
今回掲載しているカードは「プロ野球90周年カード」のサブセット「名場面」の中の1枚ですが、「世紀のトレード」と呼ばれた山内一弘(大毎)と小山正明(阪神)のトレードの際の記者会見の写真なのですが、トレードの当事者同士が並んでいるなんて、すごくないですか? これは大毎のオーナーでもあった大映の社長・永田雅一のアイデアだったのだとか。さすが、名プロデューサーとして知られた永田社長です。この記者会見は63年12月26日に大阪で行われたそうなのですが、まだ新幹線のない時代に東京から大阪へ移動するだけでも大変だったはずです。

No.110 世紀のトレード
No.110 世紀のトレード

山内はプロ野球で初めて300本塁打をマークした強打者で、小山も歴代3位の320勝を挙げた大投手と超大物同士の1対1のトレードというのは前代未聞でした。その後も大型トレードはいくつか行われましたが、山内・小山のインパクトを上回るそれは現在まで実現していないと思います。

20勝できるエースを欲した永田が阪神に小山の譲渡を申し出ると、四番打者を求めていた阪神(同年四番を務めていた遠井吾郎は11本塁打、58打点)が山内を要求して交渉が成立したのだとか。阪神に移籍した山内は64年に31本塁打、94打点をマークして優勝に貢献。一方の小山は30勝を挙げて自身初の最多勝に輝きます。

プロ野球の歴史を書いた記事ではここまで書いて、めでたしめでたしと原稿を終えるのですが、ここでは両者のその後を追ってみましょう。山内は初年度こそ31本塁打したものの、その後は20本、18本、18本と下降線をたどり、わずか4年の在籍で阪神を去ります。小山の方は移籍初年度から30勝、20勝、20勝と好成績を続け、在籍9年で140勝を挙げたのですから、成績を比べれば小山の方に軍配が上がりますかね。

ところで、大毎は小山が加入した64年から東京オリオンズを名乗ります。当時、東京を本拠とする球団がどこも東京を冠していなかったことから、「わがオリオンズこそが東京を代表するチームだ」とばかりに球団名を変更したのです。当時の大毎球団は大映と毎日新聞の共同経営だったのですが、永田はこの名称変更を全然根回しせずに独断で決めたこともあり、毎日はヘソを曲げて資本を引き揚げることになったのだとか。永田オーナーはすごいアイデアマンでしたが、強引な人でもあったのですね。この強引さがあってこその「世紀のトレード」だったのかもしれません。


当コラムは、これまで「週刊ベースボール」の「Curutural Review」のページに掲載されていたカードのコラムを転載していたのですが、2001年春から続いていたこの連載が先日の4月1日号をもって終了しました。今後、当コラム「カード春秋」(※)はBBMカードサイトのオリジナルコラムとして続けていこうと考えておりますので、よろしくお願い致します。

※「カード春秋」というタイトルは、わたしの出身校・香川県立高松高校(旧制・高松中)の大先輩にして、文藝春秋社の創設者である菊池寛先生へのオマージュなのです。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事