寒さのピークとはいえ、地方巡業のない初場所後というのは、大相撲界の結婚シーズンです。
引退後に婚活に力を注いでいる者もいれば、婚約発表したり、結婚式を挙げて熱々ぶりを周囲に振りまく力士もいます。
誰だ? 結婚は地獄の始まり、と言っているのは。
結婚っていいものですよ。
愛妻のおかげで功なり、名遂げた力士もいっぱいいます。
そんな妻にまつわる面白エピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
男の口約違反力士はプライドのかたまりだ。力士の頂点、横綱ともなればなおさらのこと。
“おしん横綱”と呼ばれた隆の里が持病の糖尿病を克服して横綱に昇進したのは30歳10カ月のときだった。遅咲きだ。日本航空の客室乗務員だった笠井典子さんと9年越しの愛を実らせ、都内のホテルで結婚式を挙げたのは、それから3場所後の昭和59(1984)年2月15日。初めて2人きりになったとき、隆の里は新妻に向かっておごそかにこう宣言したという。
「オレは(横綱になって)初めての休場で引退する。だから、急に辞めることになっても決して驚かないように」
横綱としてのけじめであり、男の約束だ。ところが、隆の里は、それから5場所後の九州場所を皮切りになんと8場所で7場所、途中休場を含めて休場したあげく、昭和61年初場所後にようやく引退した。ウソつきもウソつきだ。典子さんもきっとこっちのほうで驚いたに違いない。どうして隆の里は愛する妻にウソをつくことになったのか。
平成23年(2011)九州場所前、59歳で急逝した隆の里改め先々代鳴戸は、生前、こう打ち明けている。
「ホントに最初の休場のとき、引退しようと思って師匠(元横綱初代若乃花の二子山)に、辞めさせてください、と言ったんです。その後も休場するたびに合わせて3度も。でも、当時は千代の富士と2横綱時代で、自分が辞めると一人横綱になる。『平幕ならいつ辞めてもいいが、横綱はそうはいかん』と師匠は言って辞めさせてくれなかったんです。そのうちにヒジやヒザがどんどん悪くなってきてねえ。やむなく、4度目のお願いをすると、『ホントに辞めても悔いはないな』と私に3度も聞き、その度に首を大きく振ると、3度目に師匠の目からスーッと一筋、涙がこぼれた。それを見たとき、自分は、ああ、この親方についてきて良かった、と思いましたなあ」
男は、たとえ愛する妻をも裏切らなくてはいけないときもあるのだ。
月刊『相撲』平成25年3月号掲載