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2025-06-04

追悼・長嶋茂雄…「引退後は報道を勉強したい」と思うきっかけとなった事件とは? “スポーツ実況のレジェンド”志生野温夫アナが振り返る“ミスター”【週刊プロレス】

長嶋茂雄さん

1958年に読売巨人軍に入団し、9連覇時代には中心選手として活躍。10連覇を阻止された1974年に現役を引退、その後は監督として2度巨人軍を率い、5度のリーグ優勝、2度の日本一に導いた長嶋茂雄さん。現役時代、日本テレビの局アナとしてグランドを離れても交流があったのが志生野温夫氏。引退後は報道関係の仕事に興味を持っていたという。実はそのきっかけとなった事件がある。(文中敬称略)

昔、日本テレビではプロ野球中継は日曜にはワンちゃん(王貞治)がCMやってた大正製薬だとか、水曜は長嶋がCMに出ていた三共製薬だとか、曜日ごとにスポンサーが決まってた時代があって。

僕は長嶋と近かったから三共製薬提供の水曜日担当で、日曜はワンちゃんの大正製薬で越智さんが担当。それで水曜と日曜で視聴率競争なんかしてましたね。そりゃあ日曜の方がいいんですよ。それで悔しい思いをしたものですよ。

長嶋の面白いのは、野球だけじゃないんですよ。そういうのにも興味を持つんですね。あらゆることに興味を持つ。彼は日本テレビの運動部長になりたいって言ったんだから。「一番なりたいのは、テレビ局の運動部長だ」って。

そういうことに興味を持つ男だから、テレビ局に来ても美術室へ行ったり編成局へ行ったり、ちょこちょこテレビ局の中を見て回るんですよ。一緒に旅行に行っても、いろんなところに興味を持ってちょっと離れて見て回る。

でも長嶋っていうのは半分おっちょこちょいなところがあって。いろんなひとからいろんなエピソードが語られてますけど、巨人に入ってすぐに失言したことがあるんですよ。「社会党の世界にならない方がいい」「社会党の世界じゃプロ野球ができない」って言ったんです。普通はそんなこと言わないのに、彼はポッと何かの拍子に口を滑らす。まあ時代が時代でしたから、そういうこと言っても普通マスコミはかばうんですけどね。

俺たちは「ミスター、バカなこと言うなよ。そんなこと言ったら社会党から苦情が来ますよ。いくら読売でも、正力さんでも、野球ファンはみんな自民党びいきってわけじゃないんだから。社会党ファンもいるんだから」って笑い飛ばしたんだけど、その発言を朝日新聞が取り上げた。「長嶋は、社会党の世界になるとプロ野球がなくなると発言した」って。

当時から朝日は、そういうことに対して辛らつな姿勢だったから。ただ長嶋、王とは運命共同体だって時代だったし商品価値も高いから普通、そういうふうに叩かないんだけどね。その場には運動記者もいたけど、長嶋や王がどっか悪いとこ行こうが、そんなことを記事にするっていうのはエチケットとしてなかったんですよ。写真週刊誌が出版されて、そのへんが崩れていきましたけどね。いい関係っていえばいい関係だし、甘いっていえば甘いんだけど。

その発言も、僕らは冗談っぽく「あんまりバカなこと言うと……」なんて言ってたんですけど、朝日新聞に書かれたもんだから大きな問題になった。「長嶋はバカじゃねえか」なんか言われて批判されて。長嶋はそれにショックを受けて真剣に、「志生野さん、朝日新聞に書かれたけども、バカって言われても仕方ない。これからいろんなこと勉強する」って言ってきましたよ。だから新聞社のこととかテレビ局のことを勉強しようって。「俺は野球選手を辞めたら、こっち(報道)の方の勉強をしたい」って僕に言ってきましたよ。長嶋はそういう純粋なところがある。

読売もどこも、まさか朝日が書くと思ってなかったんだろね。そういうプロ野球選手とマスコミの関係の切れ目っていうか、音を立てて崩れたのが江川問題だった。「江川、なんてバカなことをするんだ」って思ったけど、巨人のこともあってあまり書かなかった。だけど日刊スポーツだったかな、今までの常識を破って江川批判の記事を1面でデカデカと報じたんです。

「日刊スポーツ、思い切ったことをやるなあ」と思ってたら、それが売れたんですよ。それで「おいおい、もうそろそろ巨人巨人っていう時代じゃないぞ」ってスポーツジャーナリズムが思いだしたんです。それから報知、読売の売り上げが落ちだした。特に報知が。逆に日刊スポーツの人気が上がって逆転して、巨人の時代じゃなくなったわけ。巨人の記事を書いた方が売れるとか、巨人がマスコミに守られなくなって。長嶋とか王がいた時は商品価値があったから守る価値もあったんですよ。江川の時代になって、長嶋や王が絶対の価値じゃなくなって、巨人も絶対じゃなくなって、それを破ったのが日刊スポーツだった。そのへんからそれまでの関係が壊れてきて、今はもう何を言ってもいいんだけどね。

それまではスポーツマスコミは、巨人で売るっていうか。巨人のことを書いてれば売れたんですよ。だから巨人の悪口は書けなかった。それも読売、報知だけじゃなかった。だから、(売り上げを大きく落とした)江川は巨人の監督になれなかった。

橋爪哲也

<プロフィル>
志生野温夫(しおの・はるお)…1932年11月4日生まれ、大分県竹田市出身。1956年、國學院大学卒業後に日本テレビ入り。アナウンサーとして各種スポーツの実況を担当するほか、番組やイベントの司会を務める。1963年には阪神×南海の日本シリーズと東京五輪の実況も務めた。1974年フリー転向。株式会社シオノ事務所代表。

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