――あとは貫くことの大切さですよね。ダンスにしても長くやり続けることで認知されました。
平田 これも髙木・大鷲ユニットからつながったものだと思うんですけど、僕の中では対大鷲さんという部分が大きくて。味方でありながらダンスを止められる。でもそれに反発して敵味方関係なく、見方も倒しちゃって踊ってやろうというようになった。そこからそれ以外の試合にも精神がついてきたというか。あと続けられたのは、単純にリング上で踊って楽しかったからなんですけど。
――中学生の時点でやっていたTOKYO GOダンスですから、それは楽しいでしょう。その一方で「試合中に踊る余裕があるなら攻めろ」とか「踊っている隙を突かれて負けたら意味がない」という声も当時はありました。
平田 入場時に襲われて踊れなかったら、試合中だろうがなんだろうが踊ってやるっていうのもありましたし、メガネをかけて音楽に乗って、楽しい気持ちになって自分をアゲて相手を倒しにいくのもファイトスタイルの一つですから。
――ちゃんと勝つためのスタイルなんですね。
平田 これは話したことがなかったんですけど…僕の色が何もない中で、まだ踊るキャラクターが定着していなかった時に大鷲さんと新宿FACEで組んで、その時はポスターマスクをつけたら曲が鳴るっていうやつで、試合そっちのけでマスクかけたんです。その時、客席が「えー…」ってなったんですよ。それこそ、なんで今ここで倒しにいかないの?というリアクションで。
――否定的な反応が。
平田 そのリアクションを見て、僕は「これはいける」と思ったんです。すごい反発があったわけですけど、反発ってリアクションじゃないですか。ここまで強いリアクションがあったんだから、何か自分の色になるかもしれないと。
――普通は受け入れられなかった時点でやめるものです。
平田 そこは僕の頭がおかしいんでしょうね。よくも悪くもリアクションがあるということは、それも一つの感情の動かし方だなと。それがしっかり定着して、自分の色として武器にできたら闘える色になるなと思えたんですよね。実際にここまで定着したのは結果論なのかもしれないけど、そういうマインドでよかったなって思うんです。いまだにブーイングだったかもしれないですからね。
――9・28後楽園のヨシヒコ戦に話を戻すと、9・12新宿FACEの試合中にヨシヒコ選手が入ってきたということは平田選手が指名したのとは別に、本人の中にも挑戦したいという意思があったと推測されます。
平田 言うたら相思相愛ですよね。ヨシヒコも、平田の無差別級チャンピオンだったら、挑戦者は俺しかいねえだろと思っただろうし、僕は僕で今までのスマートな無差別級戦線の中だったら誰にも勝てないと思うんですよね。別に体も強いわけじゃないし筋肉ムキムキでもないし、すごくルチャができるわけでもないんで。そういう中で自分のKO-D無差別級タイトルマッチとしての闘いを見せるのであれば、ヨシヒコしかいないというところがあった。
――ヨシヒコ選手個人に対しては、なんらかの特別な感情や思い入れを抱いているんですか。
平田 数々の無機物・無生物と闘う中で謎に評価していただいたんですけど、そのきっかけがヨシヒコだったと思うんです。
――2021年10月12日、後楽園でのシングルマッチですね。ダークマッチにもかかわらず、ヨシヒコ選手のベストバウトの一つとして今なお語り継がれています。やはりあの一戦は、ご自身でも手応えが得られたんですね。
平田 あの時もよくよく考えると、ビッグマッチでヨシヒコとシングルを組むかもしれないと聞かされていて、ヨシヒコとの一騎打ちは嫌だけどビッグマッチだったら頑張るかと思ったら、よもやの後楽園のダークマッチで。しかもオープニングの時間は決まっているから、短期決戦をしなきゃいけなかったんですよね。
――本戦開始を押すわけにはいかなかったですよね。
平田 結果、6分ぐらいやったのかな。
――6分46秒でした。
平田 だからもう、バンバンいくしかなかったわけです。まあ、短期決戦としては自分の中ですごくいいモノを見せられたかなとは思えたんですけど、同時にオープニングまでとかそういう縛りがなく、僕とヨシヒコの全力を出し合ったらどうなるのかなというのも、ずっと心の中にあったんです。
――そうだったんですね。
平田 6分の中ではあれがベストだと思うし、会ったことがない人にまで「あれ、凄かったですね」って言ってもらえて、こんなにちゃんと反響があるんだ!?って思いました。あの試合では、ヨシヒコがそれまであまり見せなかった関節技の鬼の部分も引き出せて、ヨシヒコの新たなる部分を見せられたのも大きかったと思うし。
――あのあと、昨年の4月にフィラデルフィアで一騎打ちをやっています。
平田 あの時って、同じ会場内で何興行かやっていて、DDTの大会ではトイレが客席と一緒で、アメリカの人は僕のことなんて全然知らないから見向きもされなかったんです。それがヨシヒコ戦のあとはすごく握手を求められたし、のちのち映像を見てわかったんですけど、試合後はスタンディングオベーションになっていたんです。うわー、このシーン、生で見たかったなと思ったんですけど。
――気づかなかったんですか。
平田 時差ボケと試合の疲労で周りを見る余裕がなかったので。でも、あの時も5分ぐらいしかやれなかったんですよね。
――5分30秒でした。
平田 ダークマッチの時よりさらに短かったという。だから本当に、長期戦でいったらどうなるのかというのは常にありましたね。
――ということは、はじめから長期戦をやることを前提に臨むわけですか。
平田 とは言いつつも、どちらかが秒殺されて終わるかもしれない。そこは出たとこ勝負的なところでもあるんですけど、ヨシヒコとじっくり闘うことがなかったんでそれをやるとしたら、この機会ぐらいしかないだろうし。
ヨシヒコ戦は試合としてしっかり
したものを見せたい。だから…
――一部の識者の間では「平田は楽して防衛するためにヨシヒコを選んだのでは? ヨシヒコというプロレスラーは対戦相手の映し鏡だから、あっという間に終わらせようと思えば終わらせることができる相手だけに、数秒で勝つ可能性もある」という声も出ています。これはうがった見方ですか。
平田 僕の希望としてはじっくり闘いたいですけど、そこはその場のコンディション、空気感、体調とすべてを総合した闘いの結果、どうなるのかというところではあります。
――開始のゴング直後に無抵抗のヨシヒコの両肩をキャンバスへつけてスリーカウントとはならないですか。
平田 突然ひねくれてそれをやったら、完全なる大ヒールになりますね。でも一応、KO-D無差別級王者としての自分なりの闘いを見せたいなとは思っております。
――EXTREMEタイトルの時とはまったく向き合い方が違ってくると。そもそも通常ルールですしね。
平田 その通りで、ルールをいじれないというのが僕の中では超痛手です。自分が見せられるものと思って指名したものの最近、ヨシヒコとは闘っていないし。今のヨシヒコ、むちゃくちゃコンディション悪いんですよ。
――頭にテーピングを巻いて吉田戦車状態になっていますよね。
平田 それだけでなく腕の筋肉量も激細だし、あの時闘ったヨシヒコではないんですよね。だからクラッチの握力もおそらく今は弱いと思いますし、逆にそれが怖いんです。
――そういうものですか。
平田 だからちゃんとコンディションを整えたヨシヒコで来てくれることを信じるのみなんですけど、そうならなかった場合は…やっぱね、コンディションがいい者同士の方がいいモノが生まれるじゃないですか。これに関しては、試合としてしっかり見せたいんで。言ってしまえば、ヨシヒコは誰とでも闘えるわけです。ちっちゃい子でもプロレスごっこできるし、プロレスラーとも闘える。その中で“ヨシヒコとの試合”というものを見せるのは、やっぱり難しい部分なんですよ。さらに今回に関しては、KO-D無差別級タイトルマッチとしての試合を見せなきゃいけないんで、ぶっちゃけ超怖いッスね。
――でも自分で選んだわけですから。
平田 いや、そうなんすよ。それでもここしかないなというところがあるんで。だけど怖いッスよねえ。
――一発目にヨシヒコといういわば飛び道具を持ってきたわけですが、そのあとのことは考えているのですか。
平田 いやいや、今後のことなんて考えられないです。胃が痛くなっちゃうんで。
――ヨシヒコをクリアしたら次は誰とというのは決めていないんですね。
平田 あ、今林久弥さんです。2度目のちゃんとした防衛戦は今林久弥で。
――本人は嫌がっていますが。
平田 いや、あれはめちゃ乗り気ですね。嫌よ嫌よも好きのうちの典型的な例です。
――もしかすると次の防衛戦は11・3両国国技館になる可能性もあります。
平田 まさに僕の望む形であり、今林さんの望む形です。第2試合あたりであり得ないほどの大事故試合になるか、奇跡のベストバウト級の試合になるかのスーパーバクチバウトになりますね。だって、普通に強い挑戦者が来たら秒殺で終わってしまう可能性も高いじゃないですか。両国のメインがあっという間に終わっていいのかと皆さんに問いたいです。
――これもけん制になっていますね。せっかくKO-D無差別級を持ったのに、ビッグマッチのメインに立たなくてもいいんですか。
平田 いやー、両国のメインはちょっと精神が持たないッスね。試合があとの方になればなるほど僕の嗚咽時間が長くなるので、体力を消耗するんですよ。だから万が一、両国までベルトを持っていたら第2、第3試合あたりでKO-D無差別級選手権試合をやります。
――両国メインは避けるべき案件なんですね。
平田 もちろんベルトは持っていて愛着が湧いてきたので持ち続けたいですけど、両国のメインはどんな手を使ってでも避けます。そのための相手としての今林久弥です。
――わかりました。平田選手のキャリアを見続けてきた中で、今回の戴冠劇でフラッシュバックしたのは、ひらがなまっするのことだったんです(https://note.com/hiraganamuscle/n/n1703539093d1)。あの時、コロナによって10周年記念大会が流れてしまった心中を包み隠さず吐露したことで、うまくいかない自分をみなが投影させた。だからこそ今回、よくぞここまで来たとファンの皆さんが喜べたと思うんです。
平田 人生って、本当に何があるかわからないに尽きますね。あの時はもちろん、獲る直前までKO-D無差別級のベルトを持つ自分なんて想像できなかったことが現実となって、人生ってどうにかなるものなんだなって。うまくいかないことがあっても頑張って続けていればいろいろ陽の目を浴びることもあるというところにいき着くんですね。
――10周年大会が流れた時は絶望しかなかったですよね。
平田 そうでしたね。自分で「やっぱり平田ってこういうことなんだな」と思いました。いいところでできないとか見せられないというか。でも、これは超結果論なんですけど、あの時の運の悪さだったりそういう逆境だったりが、今にいろいろつながってきているんで。10周年はできなかったけれど、15周年でYO-HEYと近野剣心の(DRAGONGATE時代の)同期だけでなくヒロムさんもそこに加わってさらにボリューミーになったわけですから。あとは10周年の時点で見せられる僕のプロレスと、15周年だからこそ見せられたものって全然違かっただろうし。おそらく10周年をやっていたら15周年はやっていなかったかもしれないんですよ。というのも、僕の自主興行の目的はYO-HEYと闘うことだったんです。剣心とはけっこうやっていたんですけど、YO-HEYとはデビューしてから試合で関わることって3、4回ぐらいだったんです。発表されていない対戦カードも含めてなんですけど全部、どちらかのヒザのケガだとか体調が悪かったり、コロナとかで流れて、そのフラストレーションが溜まった上での15周年の集大成でいいモノを見せられたかなというのがあるので。そういう運が悪かったことも今のためのものだったのかなという。
――10周年大会が実現していたら、そこもYO-HEY選手絡みのカードを考えていたんですよね。
平田 メインは決めていて、石井慧介&平田一喜vsYO-HEY&近野剣心だったんです。それが5年後に、ヒロムさんも加わって高尾さんにも入ってもらって別の形で実現し、よりよいものを見せられたんですから。
――だからあのまっするの時、うまくいかない姿を見せるのもプロレスラーなんだなと思いました。ファンの人たちもうまくいかないことがいっぱいある中で生きていて、その自分と同じようにリングへ上がっているプロレスラーでもやっぱりうまくいかないことがあることにすごい共感性を持てたわけじゃないですか。それを包み隠すことなく表に出せたのが、今思うと大きかったのだと思います。
平田 僕のプロレス…平田一喜の成長の仕方の中で、2つ欠かせない部分があって。一つはやっぱり大鷲さんと敵味方関係なく、バチバチやってライバルであり師匠っていうところで一緒にやれたのと、もう一つはひらがなまっするも大きかったと思うんですよ。あれは感情も出せば、自分のダメなところとかも笑えるところもすべてをさらけ出すコンテンツだったじゃないですか。自分を100%出していい中で、プロレスラーを見せるというよりプロレスラー・平田の生きざまをリング上で見せればいいんだっていうところに気づけた場だったんです。もちろんあの時もやるまでは嫌だ嫌だと言っていたんですけど、その嫌だと思うのは嫌だと言って出した方がいいし、痛い時はもう痛いからやめてくれってそのままさらしちゃっていいんだと。それまでは素の感情を見せていなかったし、ネガティブな感情だとよけいに出さないようにしていたと思うんです。でも、嫌なことはしっかりと嫌なこととして出して、そこから逃げるべき部分でちゃんと逃げられるようになっていった。そんなプロレスラー人生を歩んでいてもKO-D無差別級のベルト姿を見せられたことによって、うまくいかない人生だったり嫌なことがあって歯を食いしばっている人たちとかに、ちょっとでも勇気というか、こういう着地点も逃げながらでもあったりするんだよっていうのを見せられたのは、いいことなのかもしれないです。
――強いとか試合に勝つとは違う価値での見せ方です。
平田 はい。サイン会でも「本当に嫌なことがあったんですけど、ああいう姿を見て頑張れます」と言ってくれる人もけっこういたんで。なんか結果、よかったなっていう感じです。それによって自分もなんとかギリギリ頑張れちゃうのかなと。そういうものを一日でも長く見せられるためにもこのベルトを持ち続けられたらなって思えるようになりましたね。
――斜め右の方向性で言えば、DDTには男色ディーノ、スーパー・ササダンゴ・マシン、アントーニオ本多といった偉大なる先人たちがいて高いハードルでもあります。
平田 そういう先輩方が、まだまだ元気に斜め右でも闘いつつ頑張っている姿を見ていますので、僕も頑張らなきゃというところはあります。だから今度の後楽園も、胃薬持っていってやります、はい。