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2026-05-29

初対決の試合後、控室でアントニオ猪木と藤波辰巳が口にした「壁」【プロレス史あの日、あの時1978年5月20日/週刊プロレス】

猪木vs藤波の初対決を報じた「プロレス」1978年7月号(週刊プロレスmobileプレミアムで配信中)

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1978年5月20日
第1回MSGシリーズ決勝リーグ公式戦◎アントニオ猪木vs藤波辰巳@秋田県立体育館

72歳の藤波辰爾が、5月22日の後楽園ホール、「ドラディション」のメインイベントで新日本プロレスの成田蓮を相手に健在ぶりを見せた。藤波のキャリアはこの5月で55年。数多くの名勝負を残しているが、その中で「究極の師弟対決」と呼ばれ、今でも伝説の名勝負として語り継がれているのが1988年8月8日、横浜文化体育館におけるIWGPヘビー級選手権(王者・藤波辰巳にアントニオ猪木が挑戦。ノーフォールのまま60分フルタイム引き分け)だ。「師弟対決」にはほかにも「ジャイアント馬場対ジャンボ鶴田」、「猪木対長州力」、「馬場対天龍源一郎」など多数あったが、背負った時代背景のドラマチックさ、試合内容、観客動員等を総合的に評価すると、やはり「師弟対決名勝負集」の中では猪木・藤波戦が頭一つ抜けていたと思う。

その記念すべき初対決が、本稿の秋田大会。それまで「春の本場所」として4年連続(1974~77)開催されていた「ワールドリーグ戦」を廃止し、この年から新たに「MSGシリーズ」と模様替えされた重要シリーズの目玉カードとして注目され、藤波が3月3日の凱旋帰国以来、シングル全勝、タッグでも一度もフォールを奪われないという驚異的な快進撃を続けていただけに、「ひょっとしたら、ここで藤波が猪木を倒して、一気に新日本のトップに躍り出るかもしれない」というムードが高まって異常な前人気を呼んだ。

10分過ぎ、猪木のヘッドロックを鮮やかに切り返してビル・ロビンソン流ワンハンド・バックブリーカーで叩きつけた藤波は、そのあと逆エビ固めで追撃したがロープに逃げられ不発。不用意に立ってきた猪木をフルネルソンに捕えて、切り札ドラゴン・スープレックスを狙ったが、逆にバックを取られて豪快なジャーマン・スープレックスを食ってフォール負けを喫した(11分43秒)。

試合後の控室で藤波は「1月にMSGでWWWFジュニアヘビー級ベルトを獲得したときも緊張したが、今夜はその比でないくらい緊張しました。スキはあったんですが、そこに入っていけなかった。あれが威圧感というものなんでしょう。試合中に呼吸を整えようと何度もトライしたんですが、それができなかった。猪木さんの壁が、それをさせなかったということですね。スープレックスを狙う余裕を与えたのも、猪木さんの作戦ですね。いつもの試合の何倍も疲れました」とコメントし、憧れの師匠とリングで対峙できた喜びを全身で表した。

猪木も控室で藤波の健闘を称え「壁なんだよね。目に見えない壁がプレッシャーとなってのしかかる。俺も初めてカール・ゴッチさんと試合で対戦したときは壁を突き破れなかったし、それを崩すのに何年もかかった。藤波が次に俺と対戦するときは、プレッシャーが今夜の半分になっているはず。そこで俺が新しい壁を作ることが、藤波の成長につながる。でもね、若い時分に、目標とする先輩の胸を借りて試合をできるってことは、レスラーとして本当に幸せなことなんですよ」と笑顔でコメントしている。

ここから両者の対戦は横浜文化体育館のラスト・マッチまで、約10年という長いスパンに、毎年のように組まれた。結果的に、藤波はシングルでは一度も猪木から勝利をゲットできていない。だが、師匠との最後の一戦が「60分ノーフォール引き分け」だったこと、そして、試合後に猪木が自分の腰にIWGPベルトを巻いてくれたこと。それは藤波にとって、「勝利の何倍もの価値がある出来事」として、永遠の宝物、レスラーとして心の糧(かて)になっている。72歳になった今でも現役を続行できている最大の「栄養源」は、10年に及ぶ「より高い壁」アントニオ猪木との対戦の蓄積と書いて過言ではない。

流 智美

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