ところが貴ノ花は、相手がどんなに大きな力士でも、真っ向から突っ込んでいくのを決してやめようとしはしなかった。どうして貴ノ花はあんなにかたくなに“突進”にこだわったのか。憲子夫人は『あなたが一番』の中で、その秘密をこう明かしている。
※写真上=昭和50年春場所、悲願の初優勝を果たし、兄であり師匠・二子山親方(元横綱初代若乃花)から優勝旗を受け取る
写真:月刊相撲
果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
【前回のあらすじ】三役に定着した3場所目、大鵬戦で巨体を浴びせられ負傷。順風満帆だった生活は暗転したが、長男の誕生で人生観が大きく変わっていく。勝つだけの相撲から、子どもを育てる上でもっと大切なものがあると真剣に考えるようになり、ひたむきでときに悲壮にすら見える「貴ノ花相撲」を定着させるきっかけになった――
『大関になって1年ほど経ったとき、黒姫山との対戦で、跳んで勝って花道を引き揚げようとすると、背中のほうでこんなファンの声が聞こえたそうです。「貴ノ花が跳ぶ相撲を取るなんて、つまんないなあ」。それから、跳んであっさり勝負を決める相撲はやめようと思ったと言いますが、ちょうどそのころ、親方(貴ノ花)のところにある手紙が来ました。
ある女の人からの手紙で、その人の子どもが白血病で治る見込みはないのだけれど、毎日、テレビで貴ノ花の相撲を見て生きる勇気を奮い起こすように頑張っている。どうか、よい相撲を取ってください、という内容で、ところどころにそのお母さんのこぼした涙の跡らしいインクのにじみのある手紙でした。
親方はその手紙をじっと見ていて、こういう子どものためにも、逃げて勝つような相撲は取れない、とますます決意を固くしたようでした』
これに、二男の光司(貴花田、のち横綱貴乃花)が2年前にもらした、
『小学1、2年のころ、朝汐(のち大関朝潮、現高砂親方)に負けて帰ってきた親方が、ポツリと言うんです。「パパ弱いなあ、どうしようもないなあ」って。また一人で部屋にいるとき、頭を壁にゴンゴンとぶつけているのを何度も見たことがある』
というエピソードを重ね合わせると、若い貴ノ花がいかに自分のイメージした父親業に忠実に生きようとしていたか、その苦闘ぶりが鮮明に浮かび上がってくる。
長男の誕生が、貴ノ花を根底から変えてしまったのだ。このことは、注目の翌昭和46(1971)年春場所、東前頭5枚目で9勝6敗と勝ち越し、初の技能賞も受賞すると、それからたった1場所負け越しただけで、一気に大関の座を目指して駆け上がり、さらにその大関を史上最多の50場所も務めたことにもよく表れている。
貴ノ花は、「勝」の産声を聞きながら、これから自分が進むべき道がクッキリと見えてきたように感じたのだった。
昭和56年初場所7日目、貴ノ花はみんなに惜しまれながら引退した。およそ17年間の現役生活の成績は、726勝490敗58休(勝率.597)。優勝2回。今では、むしろ人気者の貴花田、若花田(のち横綱3代若乃花)の父親で師匠、というほうが有名。このところ、かつて自分が力士として大きく脱皮した年代に近くなった貴花田の低迷が続いているが、
「あの子は黙っていても、いつか這い上がってくる。今は、ウンと苦しめむだけ苦しめばいいんですよ」
と、温かい目で“開眼”のときを見守っている。(終)
PROFILE
貴ノ花利彰◎本名・花田満。昭和25年2月19日、青森県弘前市出身。二子山部屋。182cm106kg。昭和40年夏場所、本名の花田で初土俵。43年春場所新十両、同年九州場所新入幕。44年夏場所、貴ノ花に改名。47年秋場所後、大関昇進。幕内通算70場所、578勝406敗58休。優勝2回、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞4回。56年初場所に引退し、年寄鳴戸を襲名。同年12月、藤島へ名跡変更、57年2月、藤島部屋を創設、横綱貴乃花、若乃花、大関貴ノ浪、関脇安芸乃島、貴闘力らを育てた。平成5年、二子山と名跡交換、16年2月、二男貴乃花に部屋を譲った。平成17年5月30日没、55歳。
『VANVAN相撲界』平成4年9月号掲載
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