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2026-06-19

プロレスラーとの3連続前哨戦がモハメド・アリ陣営に与えた「警戒警報」【プロレス史あの日、あの時1976年6月10日/週刊プロレス】

猪木vsアリ戦に向けた識者・著名人へのアンケート企画内に“アリのプロレス特訓”の写真を掲載した「プロレス」1976年7月号(週刊プロレスmobileプレミアムで配信中)

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1976年6月10日
エキシビション・マッチ◎モハメド・アリvsケニー・ジェイ、バディ・ウォルフ@シカゴ・インターナショナル・アンフィシアター

今から50年前の1976年6月、日本武道館でおこなわれたアントニオ猪木とモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」は余りにも有名だが、アリが来日する直前、アメリカ本土でプロレスラー相手に3回の実戦マッチをおこなっていたことは意外に知られていない。

まず最初は6月2日、ペンシルベニア州フィラデルフィアのスポーツアリーナ。この日はアリ・猪木戦をクローズド・サーキット(劇場、映画館での有料上映)で世界中に流すWWWF(現・WWE)のボスであるビンス・マクマホン(シニア)との打ち合わせがあったため、アリはマネージャーのアンジェロ・ダンディと共に会場を訪れた。ワイシャツとジーンズ姿でリング上から観客に挨拶したアリは、ファンサービスとばかり、メインイベントに登場するためリングインしたゴリラ・モンスーンを挑発(別掲写真右部分)。ジャブを数発撃ち込んだところモンスーンのアゴに軽く当たってしまい、怒ったモンスーンはアリをエアプレーン・スピンで7回転させてフラフラにしてしまった。観客は思わぬハプニングに大喜びだったが、「多少、レスラーとコンタクトしておく必要がある」と判断したアリは、このあと「仮想・猪木」との本格的な前哨戦に踏み切った。

6月10日にバーン・ガニアの招きでシカゴに赴いたアリは、AWAの本丸であるインターナショナル・アンフィシアターに登場。これはガニアが猪木・アリ戦と、自分がニック・ボックウィンクルに挑戦するAWA世界ヘビー級選手権を6月25日(現地時間)に同地で開催(猪木・アリ戦はクローズド・サーキット方式で、会場のスクリーンで中継)するため、その煽りとしてアリ本人を招致したものだった。既に前々週の5月20日に日本から猪木を呼んでテレビで紹介しており、前宣伝にぬかりはなかった。

まず最初にアリと対戦したのはケニー・ジェイ。1971年に一度だけ国際プロレスに来日経験のあるベテランだったが、アリのボディーブローを食って2ラウンドにアッサリとKO負け。続いて出てきたのは中堅のバディ・ウォルフだったが、アマレスの経験が豊富なウォルフは再三グラウンドに持ち込んでアリを慌てさせた。第2ラウンドには得意技のシュミット流バックブリーカーを2発叩き込み「あわや」のシーンも見せるなど善戦したが、第3ラウンドに顔面に食ったジャブで鼻骨を折り、大量の鼻血が吹き出したためにセコンドのディック・ザ・ブルーザーがタオルを投げてのTKO負け。レフェリーのバーン・ガニアがアリの手を挙げて勝利を宣告したものの、かなり苦戦を強いられたアリは不満そうな表情で控室に引き揚げた。この日にリングサイドで2試合を目撃したジム・メルビー(ガニアが発行していた「AWAレスリング・レポート」主幹)によると、「アリはウォルフのバックブリーカーでかなり脇腹を痛めた。控室でドクターが応急処置を施していたが、数日後に日本に行く予定だったので、アリ陣営はかなり慌てたと思う」と述懐している。

6・25の現地プロモーターでもあり、メインでリングにも上がる予定があったガニアからすれば、「大事な商品」であるアリにケガをさせるわけにはいかない。かと言って、それまで散々「プロレスラーなんて弱い。俺のパンチ一発で誰でもKOだ」とか「猪木のペリカンのようなアゴは簡単に砕ける」などとコキおろしていたアリに対して、プロレスラーの怖さを「チョッピリ」染み込ませておく必要も感じていた。ケニー・ジェイという「噛ませ犬」で油断させておいて、子飼いの中でもアマレス経験の豊富なウォルフを当てて「お灸(きゅう)」をすえたガニアはご満悦だったと想像されるが、そのあとの日本で、猪木&新間コンビがタップリと「ガニアがやったことに対する、トバッチリ」を食った感が強い。

流 智美

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