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2020-02-18

【私の“奇跡の一枚” 連載56】 『還暦土俵入り』に見た “ウルフ”の凄味と人間味

私の中学・高校時代、『小さな大横綱』千代の富士の強さは最高だった。取り口は豪快そのもの、痛快で技の切れも抜群、その取組を見るたびにため息が出た。だから、ちょっと天邪鬼な私がテレビ観戦でいつも応援したのは、その相手となるライバル横綱だった。しかし千代の富士はほとんど負けなかった。ことに決定戦などは絶対に落とすことをしなかった。

※写真上=順調に進む綱打ちの様子に相好を崩し、冗談も飛び出した九重親方。稽古場の雰囲気は一気に和み、さらに景気づいた。弟子の出世頭・佐ノ山親方(当時、現九重親方、右。元大関千代大海)もほんとうにうれしそう
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

オーラが違う! 直に見た憧れの大横綱

 その後カメラマンの道を選んだ私は幸いにも、小社でそれまで憧れの世界でしかなかった大相撲を担当させてもらうことになった。そんな私が、右を見ても、左を見てもスターだらけの世界の親方、力士と接して、一番オーラを感じたのは、やはり元横綱千代の富士の九重親方だった。目の前を通り過ぎる親方を眺めては、「やっぱり、貫禄が違うなあ!」と納得することしばしばだった。その大横綱に職業柄、「おい、椛(かば)ちゃん」と愛称で呼び掛けられることも増えて、親方に対する私の傾倒度はいよいよ上がった。

 声を掛けてもらうのはもちろんうれしいのだが、それだけに親方の話が冗談か、本気なのか見分けがつかないほどになったのである。読者の皆さんもご経験があるのではないだろうか。ファンの性というべきか、尊敬するあまりその人を前にすると、何もかも真正面から受け取ってしまうようなことが往々にしてあるのでは。

「ウルフ、日本一!」 見事な雲龍型土俵入り

 平成27(2015)年5月場所後の5月31日、国技館で行われた親方の還暦土俵入りを取材したとき、カメラを構えた私は、絶対にいい写真を撮るんだという気持ちと、「あの大横綱千代の富士が、目にも鮮やかな赤い綱を締め、いま目の前で、昔の眼光そのままにせり上がっている、わあー、スゲエ!」という崇拝者の気持ちがないまぜになっていた。それと同時に、身内でも、年上でもないのに、「よくぞ、ここまで……」という感激が私の中に沸き上がるのを抑えきれなかった。

「横綱にまでなった人間は、たぶん稽古などでも人一倍の無理をするせいだろう、なかなか長生きできない。だから、昔は、無事還暦(60歳)を迎えられる人はほとんどいなかったんだよ」と先輩達に聞かされて育ったせいもあった。現代はみな長命になって、私も何人も還暦横綱土俵入りを取材しているが、このときの“ウルフ”の勇姿には特にシビレた。

 来てくれるお客さんにみっともない姿は見せられないからと、ジムに通い、当日もトレーナーを呼んでぎりぎりまで努力していた親方。眼光鋭い雲龍型は、見事に国技館の土俵に、ファンの目の中に現役時代の思い出とともに蘇った!

 相撲カメラマンとして20年、イベントずれしてきた感のある私が、これほどまでに、いまだに感激を持続させているのはおそらく、本番を前にして28日部屋で行われた綱打ちのとき、親方が見せた表情にたまらなく惹かれたためである。角界上げてのめでたい催しに一門総出で行われた綱打ち式。ふだんはこわもての表情をあまり崩すことのない親方が、うれしさを抑えつつも隠しきれず照れていた。紅白の鉢巻を遠慮深く(?)巻いて、景気づけの太鼓を叩いたり、日本の英雄ということを離れて見せてくれた家族とのやり取り、父親としての素顔が、あまりにも可愛く(失礼!)、魅力的だったからにほかならない。人間千代の富士、ここにあり!

 それが、本作りとしては何気なくスルーしてしまいそうな写真を、敢えて私の“奇跡の一枚”としてここに挙げさせていただくゆえんである。

語り部=椛本結城(本社相撲担当カメラマン)

月刊『相撲』平成28年8月号掲載

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