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2019-12-06

【連載 名力士たちの『開眼』】 小結・大錦一徹編 “後半”のオレこそ足が地に着いた本物――[その2]

――アイツはとてつもない大物だ。

※写真上=新入幕の昭和48年秋場所、横綱・大関を撃破し三賞を独占した大錦
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】中学3年で佐渡から上京、出羽海部屋に入門したが、強度のホームシックにかかった。その寂しさを埋めるために面白半分に飲んだ酒は救いの神。だが、とうとう無茶のツケがたたり、糖尿病いう病魔が忍び寄っていた――

大物ぶりを表すエピソードの数々

 大錦について、こんな風評が立ち始めたのは、この十両昇進の前後のことである。すると、それを裏付けるようなエピソードがあちらこちらから“発掘”されてきた。

 いわく、新弟子のころ、大錦に金太郎という愛称をつけて、まるで自分の孫のように可愛がっていた先代出羽海(元初代出羽ノ花。元理事長)が、

「タバコを買って来い」

 と100円渡したら、お腹が空いたので、とパンを買って食っちゃった。

 また、あるとき、宴会の酒のお燗番をしながらチビリ、チビリと盗み酒をし、なかなか次の酒が出てこないので、兄弟子が見に行くと、一升瓶を枕にグーグー高いびきだった。

「そういう話は、全部イイトコ(ウソ)。アイツならこんなことをしかねない、と誰かが冗談で言ったのがだんだん膨らんで、いつの間にかあんなふうになったんです。いくらオレでも親方のお金でパンを買って食う勇気はないよ」

 と、山科親方はこれらの破天荒な“大錦エピソード”を真っ向から否定するが、昭和48(1973)年夏場所、新十両でいきなり十両優勝。翌場所、師匠の出羽海親方(元横綱佐田の山)が、

「早く改名させないと、出世が早過ぎてタイミングを逸するよ」

 と、部屋に伝わる由緒ある四股名の“大錦”を慌てて贈ったこともあって、これらのエピソードが大手を振ってドンドン一人歩きを始めた。

昭和48年秋場所、大関貴ノ花に続いて横綱琴櫻も倒した大錦
写真:月刊相撲

新入幕で横綱大関連破の快挙

 そして、これに乗せられるように本人も本当に大物に――。大錦が入幕を果たし、一躍全国区の人気者になったのは、十両昇進から3場所目の秋場所のことだった。

 この場所、大錦は、思い切りのいい相撲で、序盤3連勝。この3連勝目の3日目は、たまたま20回目の誕生日だった。この日、荒勢を左からの豪快な上手投げに仕留めた大錦は、

「毎日、やけくそですよ。二本差されて、イチかバチかの投げを打ったら、うまく決まっちゃった」

 と支度部屋で頭をかいている。しかし、この若さいっぱいの相撲は、日を重ねるにつれてますます勢いを増し、途中まで優勝争いに加わりながら、あれよあれよという間に11勝もしてしまったのだ。その中には、11日目の関脇魁傑、13日目の大関貴ノ花に続いて、14日目に横綱琴櫻を食った相撲も含まれている。

「とにかくあのときは、やることなすことみんな図に当たる、という感じだったなあ。今でも佐渡ケ嶽親方(元横綱琴櫻)と顔が会うと、いやあ、あんときゃまいったな、とよくぼやかれます。あの、横綱に勝った翌日のスポーツ新聞は全部、オレのことが一面でした。記念に一部ぐらい取って置けばよかった、と時々思いますよ。殊勲・敢闘・技能の三賞も独り占め、ただ、入幕していきなりでしたから、あんまり新聞に大きく扱われたり、三賞をもらったりする有り難みが分かんなかったですね。なんだ、三賞なんて、もらうのは簡単じゃないか、という感じで、でも、それがいかに大変なことだったか、あとでイヤというほど思い知らされました。その後、何度か、三賞をもらってもおかしくないような成績を挙げたけど、二度ともらえませんでしたから。あのとき、一番面食らったのは、翌場所、11枚も上がって東の小結にポンと抜擢されたことでした。場所前、師匠に、まあ、今度は3番(勝)だな、と言われてねえ。心の中では、そうはいかん、4、5番は絶対に勝ってみせる、と思ったんだけど、いざ、やってみたら、ホントに3番しか勝てなかった。あれにはビックリしたなあ」

 山科親方はこう言って、夏の夜の花火のように、自分が思いっ切り輝いた一瞬を懐かしがる。

 大錦の現役時代が悲劇っぽく映るのは、この飛ぶ鳥を射落とすような頂点が、あまりにも短すぎたことである。好調なときほどしっかりと足元を見詰めて生きないといけない、ということを悟るには、あまりにも若すぎたのだ。

 大錦は通算53場所も幕内を務めているが、三役に上がったのは、後にも先にもこの48年九州場所の1場所だけ。(続)

PROFILE
大錦一徹◎本名・尾堀盛夫。昭和28年9月11日、新潟県佐渡市出身。出羽海部屋。186cm150kg。昭和43年夏場所、本名の尾堀で初土俵。48年夏場所新十両。翌名古屋場所、大錦に改名。同年秋場所新入幕。最高位小結。幕内通算53場所、348勝428敗19休。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞1回。63年初場所に引退し、年寄山科を襲名。出羽海部屋で後進の指導にあたる。平成30年9月、停年退職。

『VANVAN相撲界』平成6年5月号掲載

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