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2019-10-29

私の“奇跡の一枚” 連載39 横綱を果たせなかった「怪物」たちの深き悩み

最近大相撲の人気が高まり、平成27(2015)年春場所も、ご当所大関豪栄道、錦絵顔の勢への肩入れと相まって、満員御礼が続いた。モンゴルからやってきたモンスター逸ノ城、日大出身の遠藤の人気も変わらず高い。

※写真上=昭和60年春場所、念願の初優勝を果たした近大出身の大器朝潮が、師匠の「大阪太郎」こと元横綱朝潮から差し出されたねぎらいの樽酒を受ける。期待に胸膨らんだ瞬間だったが…。相撲の厳しさを物語る一枚
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

魅力の「怪物」群像

 相撲は、昔からたたき上げの力士の意地と、鳴り物入り入門の新進との真っ向勝負が盛り上げてきたところがある。近年では多くの場合、後者は学生相撲からの挑戦者だった。

 なかでも東京農業大学出身・内田の豊山、日本大学・輪島、近畿大学・長岡の朝潮、専修大学・尾曽の武双山、中央大学・出島、明治大学・竹内の雅山、日本大学・田宮の琴光喜。彼らの幕下付け出しからのスピード出世は人々の目を見張らせた。

 我々行司はその当時置かれていた場所によって、評判の怪物たちを、誰よりも近くから見ることができる。

 幕下初っ口を裁いていたころの私がそんなスーパーヒーローに遭遇したのは、昭和53年春場所初日のこと。当時最多の16タイトル、2年連続のアマ、学生横綱という輝かしい経歴を引っ提げた地元近大の長岡のプロ挑戦である。入門を前に何カ所かの部屋に稽古に行けば、関取クラスを次々と撃破、まるで道場破りを思わせるような強さで、襲われた!?各部屋の親方衆をカッカとさせているという評判。マスコミのあおりもあって、地元ファンも、普段は静かな幕下の土俵に、横綱・大関登場以上の大騒ぎ。

 そんな人気、プレッシャーのものかは、鳳山(大鵬部屋)にモロ差しを許しながらも余裕を持って料理した長岡に、私は、これは評判どおり、大関は間違いないな、と思いながら勝ち名乗りを上げた覚えがある。

ダブル朝潮絶頂も……

 この場所当然のように優勝を果たした長岡は、2場所で幕下を突破、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで出世を果たしていった。

 有り余る才能も豊富な稽古なしでは開花しない。その後巡業でも長岡改め朝潮の周りには、高見山、富士櫻という大兄弟子が厳しい稽古にぴったり付き添う姿が見られた。

 その大物ぶりと明るい性格で「大ちゃん」と親しまれた朝潮だが、横綱へ必須である賜盃を抱くまでには、入幕から実に6年の歳月を要した。

 その朝潮が、浪速の土俵で大きな花を咲かせたのは昭和60(1985)年春場所のこと。このときの浪速っ子の熱狂は並大抵のものではなかった。

 師匠の高砂親方(元横綱朝潮)が、昭和31年から33年までの春3場所を連続で優勝し「大阪太郎」の異名を取っていたエピソードが思い起こされたうえに、当場所限りで花と散った(引退)富士櫻が、パレードの旗手を務めたことも手伝って、興奮の極みに達したのだ。もちろん、そこには朝潮のさらなる開花への期待が。なのに……。

 不思議なことだが、歴代の怪物たちは当然のように横綱を期待されたが、残念ながら輪島さん以外、それを果たした人はいない。何が理由かは、今もって私には分からない。相撲はホントにむずかしい。

 今も、一ファンに戻って、この奥深い伝統国技の使命を真に解した横綱となるべき新たな日本人怪物よ出てこい、と叫んでいる私がいるのみである。

語り部=35代木村庄之助(本名内田順一。宮崎県延岡市出身。立浪部屋。平成23年9月停年退職)

月刊『相撲』平成27年4月号掲載

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