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2019-09-10

私の“奇跡の一枚” 連載32 「粋」の権化・名横綱栃錦

この写真、腰の備えも見事な踊りを披露しているのは、横綱栃錦である。歌を入れているのは横綱千代の山。後方の親方も羽織姿で出席しているところを見ると、格調の高い方々が出席していたお座敷だろう。座がほぐれて、師匠が舞う。ファンにとってはなんとも豪華でワクワク、見ている方が舞い上がってしまうような場面である。

※写真上=右で踊っているのが横綱栃錦、左は横綱千代の山
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

“隅田川流家元”の豪華隠し芸披露

 戦後、栃若時代をつくり、春日野理事長となっては新国技館を完成させた一代の英雄・栃錦。私は幸いなことにこの人を師匠として仰ぐことができた。

  親方には相撲ばかりでなく、さまざまな人生の教えを受け、その実践も身をもって示していただいた。その中でも印象的な教えは、その行動から着物の着方に至るまで、折りに触れ強調していた「力士は粋でなくちゃいけない」ということだ。

 頭にマゲを載せ、日常生活で着物を着こなしながら、国技の伝統を受け継ぐ力士たちにとって、昔から花柳界は力士にふさわしい大人の遊びの場であり、修行も含めた社交場であった。それは同じ高級でも、クラブ遊びとも違う独特の雰囲気を持っていた。

 この親方とて、もともと芸達者ではなかったという。ただ、歌だけはどうにも苦手だった。不調法ですまそうと思ったが親友の出羽錦関と相談の結果、その代わりを踊りでということになり、本格的に習ったことがあったのだとか。

 上段を含めて『隅田川流』を自称し、隠し芸として舞ったのは2曲だった。写真はそのうちの一つ「隅田川」のシーンである。

 これは「流沙の護り」という軍歌の替え歌で、原曲のバンカラと粋をそのままに、黒竜江(アムール河)を相撲の町両国を流れる隅田川に替えて歌われたものである。これをふだんは出羽錦、ときに千代の山のアカペラの歌に乗せて歌った栃錦。私も現役を引退してから、「お前が歌え」と指名された光栄も何回か。

〽男度胸は土俵の上で
 砂で磨いたこの体
 狭い土俵に命をかけて
 六尺の体に花が咲く

〽流れ豊かな隅田の川の
 岸の茂みは我がすみか
 水を鏡にヒゲづら剃れば
 柳橋の芸者衆も一目惚れ

 相撲で鍛えた腰を決めつつ「六尺の体に花が咲く」といった締めのところで、雲龍型せり上がりの型をアドリブで披露するのである。想像してみてほしい。出席者はこれにしびれてもう、涙まで浮かべて喝采大拍手である。

 そんな栃錦の粋と心意気には当然芸者衆も惚れて、ふだん呼んでくれたお礼にと、大勢が集まって逆に栃錦を料亭に招き、着物を贈ったなど、周辺の粋なエピソードにも事欠かない。

 時代が大きく変わり、カラオケ、スナックなど、遊びが手軽になった現在ではあるが、力士の周りにこんな粋な姿勢、環境と条件が、再び戻らぬものかと私は密かに思っている。もちろんそれには、真剣に相撲道を追求する心掛けと猛稽古に裏付けられた生活あってのことではあるが。

語り部=志賀駿男(元関脇栃東、先代玉ノ井親方)

月刊『相撲』平成26年9月号掲載

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