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2019-09-06

【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・巨砲丈士編 艱難汝を玉にす。そして継続は力なり――[その3]

「何が起こるか、分からないのが相撲。だから、面白いんですよ」
 晩年、巨砲は、相撲の魅力についてこう語っている。上位キラー、大物食いの巨砲ならではのセリフと言っていい。

※写真上=昭和53年秋場所、十両優勝した巨砲
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】幕下時代、土俵上で左ヒザの大ケガを負い、故郷の四日市に戻った。そこでの毎日のトレーニングが功を奏し、2場所後に復帰。そこから驚異の巻き返しを図ると、ライバルたちをごぼう抜きにし、十両昇進を果たす――

十両時代、横綱との稽古で開眼

「もう止めた。今日は帰る」

 横綱若乃花(2代目)の口から飛び出したこの言葉を聞いたとき、巨砲もじっと稽古を見守っていた親方たちも思わず耳を疑った。

 それはいったん十両から落ちた巨砲が、再び十両に返り咲いて間もなくのことだった。珍しく両国と阿佐ケ谷の、二所一門の連合稽古が大鵬部屋であり、巨砲も、一門の横綱、若乃花の胸を借りる、という願ってもないチャンスに恵まれた。

 ところが、この「若乃花対巨砲戦」で、思わずほおをつねりたくなるようなハプニングが起こった。なんと巨砲が横綱に三番、続けて勝ってしまったのだ。

 若乃花サイドからみると、この巨砲戦は、いわば躍進著しい大鵬部屋に対するご祝儀のようなもの。ごく軽い気持ちで胸を出していたのは確かだった。これに対して、巨砲は、横綱に初めて稽古をつけてもらえる喜びで、それこそ無我夢中。この気迫の差が、たまたまこんなかたちで表れてしまったのだ。

 とはいっても、天下の横綱が十両相手に3連敗してはかっこうがつかない。若乃花がいらだち、稽古を早々に切り上げたい気持ちは痛いほど分かった。

「横綱が、オレに負けて帰ってしまった」

 巨砲は、仏頂面をして稽古場を出いてく若乃花の後ろ姿を見送りながら、自分が一回り大きくなったような気がし、しばらく高揚した気持ちを抑えることができなかった。

 巨砲が、この若乃花と本場所で対戦するようになったのは、それから1年ちょっと経ってからのことである。最初の対戦はおよそ勝負にならなかったが、巨砲の心の奥では、ずっとあの連合稽古での3連勝が大きな自信となって息づいていた。そして、入幕4場所目、昭和54(1979)年秋場所2日目の2度目の対戦のとき、それがとうとう熱い炎となって吹き上げることに。まるで1年前の稽古場のビデオテープを見るように、巨砲は若乃花の懐に飛び込み、2分26秒という長い相撲の末、しびれを切らした横綱が投げを打ちにきたところを、うまく体を寄せて寄り切ってしまったのだ。

 待望の初金星である。

「ああ、やっとウチからも横綱を倒すような力士が出てくれた。もう感無量だよ」

 このときの師匠の大鵬親方の喜びようは本人以上だった。部屋の入口でこの愛弟子の帰ってくるのを待ち受け、満面に笑みを浮かべながらギュッと手を握ったのだ。このときの師匠の手の温かみが、巨砲に心境の変化をもたらした。

 また、このしびれるような喜びを味わいたい、とすっかり大物食いの魔力のとりこになってしまったのだ。こうして金星の鬼と化した巨砲は、そのうまさと粘りで、引退するまで合計10個の金星を獲得した。これは史上第5位タイ。その10の内訳は、若乃花から4個、千代の富士から2個、三重ノ海、輪島、北の湖、隆の里から1個ずつだ。

「たとえ相手がどんな強敵でも、付け入るチャンスは必ずあるんです。戦う前にあきらめちゃいけませんよ」

 巨砲は、横綱と対戦するたびに、若乃花戦で学びとったこのことを心のなかで反すうするのだった (続)。

PROFILE
巨砲丈士◎本名・松本隆年。昭和31年4月18日、三重県四日市市出身。二所ノ関→大鵬部屋。183cm146kg。昭和46年夏場所、大真で初土俵。52年名古屋場所新十両、53年春場所、巨砲に改名。54年春場所新入幕。最高位関脇。幕内通算78場所、533勝637敗。殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞1回。平成4年夏場所に引退し、年寄大嶽を襲名。9年7月に楯山に名跡変更、20年9月退職。

『VANVAN相撲界』平成5年12月号掲載

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