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2019-08-30

【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・巨砲丈士編 艱難汝を玉にす。そして継続は力なり――[その2]

昭和51(1976)年初場所9日目の五番相撲の相手は、身長が198センチある長身の琴若(元前頭2枚目)である。

※写真上=晩年の横綱大鵬の内弟子として入門したのは、昭和46年初夏のことだった(左端が巨砲)
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】甲子園を夢見ていた中学2年生の球児が、大阪の春場所で現役横綱の大鵬に声をかけられ、一転して横綱を夢見るようになった。中学3年で上京、大鵬部屋に入門すると、そこには身近なライバルがたくさんいた――

暗い地獄の底でつかんだ天国への蜘蛛の糸

 相撲は、途中から形勢が逆転。琴若が攻め、見るからに肩に力が入っている巨砲が受けにまわる、という展開になった。そして、巨砲が「生涯忘れられない」という運命のシーンが訪れた。

 それは琴若が投げを打ち、巨砲が必死に残した瞬間だった。巨砲の送り足の左ヒザが入り、バランスが崩れたところを、琴若が反射的に上からのしかかって体を浴びせた。

「キャーッ」

 と観客席から悲鳴が挙がるのと、巨砲の左ヒザにそれまで体験したことのない激痛が走るのと、ほとんど同時だった。一体どうなったのか。まったく分からないまま土俵に這いつくばった巨砲がこわごわ目を開けると、なんと顔のすぐ前に自分の左足首があった。

 琴若にのしかかられ、押し潰された拍子に、左ヒザの関節をつないでいる内側、外側、十字という靭帯のすべてが大きく伸び切り、切れかかっていたのである。

 とても相撲を取るどころではない。しかし、勝ち越しまでにあと一番、と目の前にぶら下がっているこの飛躍のチャンスも、おめおめとは放棄できない。

 兄弟弟子たちとの競争に後れをとってたまるか。この一念で、巨砲は医者が「完治は無理」と首を捻るほど重症の左ヒザを包帯でぐるぐる巻きにすると、残り二番、歯を食いしばって土俵に上がった。信じられないような精神力である。もちろん、歩くのがやっとで、どこを見ても勝てるはずはなかったのだが。

 驚くべきことに、巨砲は、こんな状態にもかかわらず、さらに次の春場所の一番相撲も取っている。しかし、この完敗でさすがの執念も万事休した。

 断腸の思いで二番相撲から休場した巨砲は、親方の許可をもらい、心と体の二重の傷を抱いて家族のいる四日市に帰った。ここしかこの傷を癒やしてくれるところはない、と思ったのだ。そして、それからまもなくこの砂浜通いが始まった。

「毎日、オヤジがオレとバーベルをクルマに乗せて海岸まで送ってくれるんですよ。それからおよそ3時間、すり足でその70キロのバーベルを引っ張るんです。オヤジはオレを降ろすと、さっさと帰ってしまいますからね。迎えに来るまで、そうやって下半身強化をやる以外になかったんですよ。夜は夜でまた、近くの市営トレーニングセンターで3時間のウエートトレ、妹(宣子さん。砲丸投げ、柔道で活躍した)がスポーツで頭角を現したのは、このとき、自分と一緒にやり始めたからなんです。自分もそれまでは非力だったんですが、このウエートトレでめきめき力がついて。最後のころは、冗談ですが、相撲を辞めて重量挙げでオリンピックを目指したらどうだ、とトレーナーの方に言われましたよ」

 と、大嶽親方(平成5年当時、元関脇巨砲)はこの苦節のときを振り返った。

 こうして巨砲は涙ぐましい努力を重ねて何とかヒザの感覚を取り戻し、土俵に復帰したのは2場所後の名古屋場所だった。この帰郷している間に、番付は幕下を滑り落ち、三段目の西39枚目まで降下していた。

 こんな“落ちこぼれ”の巨砲の唯一の救いは、ライバルの兄弟弟子たちがまだ誰も十両入りしていないことだった。

 ――ということは、オレにも一番乗りの可能性が残っているってことだ。ようし、頑張るぞ。

 この日を境に、巨砲の驚異の巻き返しが始まった。そして、それから6場所連続して勝ち越しを記録。52年名古屋場所、とうとうもたつくライバルたちをごぼう抜きにし、満山(のち幕内嗣子鵬)と同時昇進だったが、本当に十両一番乗りをやってのけたのだ。

「ヒザをケガするまでは、モロ差しか、左四つになって吊るだけだったんですけど、あのケガで吊れなくなってしまい、前に出る相撲に取り口を変えたんです。組み手も左ヒザに負担がかからないように右四つに変え、さらに前に出やすいように重心も低くしてね。結局、これがよかったんですね。1年前が1年前でしたから、十両昇進が決まったときは、まるで夢でも見ているような気持ちでしたねえ」

 人間、何が浮上のきっかけになるか、分からない。急がば回れ。艱難、汝を玉にする。巨砲は、それまでどこを探しても見つからなかった天国への蜘蛛の糸を、暗い地獄の底でしっかりとつかんだのだった。(続)

PROFILE
巨砲丈士◎本名・松本隆年。昭和31年4月18日、三重県四日市市出身。二所ノ関→大鵬部屋。183cm146kg。昭和46年夏場所、大真で初土俵。52年名古屋場所新十両、53年春場所、巨砲に改名。54年春場所新入幕。最高位関脇。幕内通算78場所、533勝637敗。殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞1回。平成4年夏場所に引退し、年寄大嶽を襲名。9年7月に楯山に名跡変更、20年9月退職。

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