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2026-10-01

“燃える闘魂”アントニオ猪木最後の言葉は「馬鹿の一人旅」…亡くなる4日前に対面した原悦生カメラマンが明かす【週刊プロレス】

「死に際を撮ってくれ」と言われた原悦生カメラマンが、「私のなかではこの一枚がそれになる」と語ったショット。亡くなる2カ月ほど前、リハビリに励む姿を撮影したなかのワンカット(撮影/原悦生)

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4年前の10月1日、“燃える闘魂”アントニオ猪木が亡くなった。79歳だった。1972年3月の新日本プロレス旗揚げシリーズから半世紀以上、猪木を撮り続けてきた原悦生カメラマンが9月26日、大阪市内で膨大なライブラリーから厳選した写真を公開しながらのトークショー、「猪木古道」が開催された。ここではその中から興味深い話をピックアップしてお届けする。(文中敬称略)


プロレスラー、政治家、海外、必殺技、事件簿、猪木劇場と6章に分けて語られたトークショーの冒頭で映し出されたのは、亡くなる4日前の写真。アントニオ猪木に誘われるかたちで古舘伊知郎アナウンサーとともに自宅を訪れた際の一枚だった。

原悦生カメラマンのもとには亡くなる数日前から確認の電話が数多く寄せられたという。ただ訃報が直接届けられていなかったこともあって、「わからないですね」と答えるしかなかった。しかし10月1日の午前中にかかってきた問い合わせに対する返事は、「あり得ますね」。4日前に顔を合わせた時は見るからに体調が悪く、元気がなかったからだ。

猪木から「死に際を撮ってくれ」との言葉をかけられていた原カメラマン。それはまだ猪木が60代半ば過ぎのこと。その瞬間に居合わせることは、よほどのアクシデントが生じない限り難しい。仮にその場にいたとしても、カメラを構えられるかわからない。その意味でも亡くなる4日前に撮影した一枚は、それにあたる。

棺に納められた猪木を撮影しているが、それは表に出していない。亡くなる2カ月ほど前にリハビリに励む姿を撮影した。その際、ベッドに横たわって目を閉じている一枚が、「“死に際の一枚”になった」と原カメラマンは語った。

全身性アミロイドーシスという難病と闘っていた猪木。それと並行して、2000年に出版された詩集「馬鹿になれ」の第2弾が企画・準備されていた。そのタイトルを考えていた猪木。

しばらくベッドに横になっていた猪木が起き上がって歩み寄ってきた。そして小声で一言、「馬鹿の一人旅」。突然だったのに加え、力ない声だったこともあって聞き取れなかった。聞き返したところ、ゆっくりと繰り返す。

「馬鹿・の・一人・旅…」

それだけ言うとベッドに戻っていった。しばらくして原カメラマンは部屋を出た。その言葉を遺して“燃える闘魂”は旅立っていった。

橋爪哲也

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