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2020-01-11

【アメフト】鳥内監督は「勉強」の人だった

執筆段階

 こうした空気に触れることは、文体へと確実に影響を及ぼす。

 執筆に入ったのは、夏場からである。私は9月20日からラグビー・ワールドカップの取材が控えていたため、それまでに脱稿しなければならなかった。

 ところが、執筆は難航した。

 まず、文体が決まらなかった。

 当初は標準語で書き進めていたのだが、これでは監督の言葉の「味」がまったく出ないのだ。

 これは大阪弁で書かなければなるまい……。

そう覚悟を決めて書き始めると、スラスラと筆が進むようになった(ここでは、編集のTさんのテープ起こしが最上級のものであったことを書き記しておきたい。監督の大阪弁を丁寧に文字に甦らせてくれたのだ)。

「これだ、これ」と思いつつ、文体が決まると、次のような文章が生きてくるようになった。アメリカにコーチ留学し、一時帰国したときのエピソードである。

 それでもって、俺が一時帰国する時とか、ぎょうさんVHSを持って帰ってきたわけ。もうVHSいうても分からん世代が増えてきたけどな。それでどないなったと思う?
 
 税関で足止めや。職員は俺がエロビデオを大量に持って帰ってきたと思いこんで調べ始めたよ。そんなことする顔に見える? 見えへんやろ。で、俺はきちんと主張したよ。

「何度も言うてますよね? フットボールやって言うてるでしょ。そんな早回しでいくら見ても、フットボールの映像しか出てきませんて。パス、ラン、ブロックそんなんばっかりですから」
 
 それはホンマのこと。たしか三十本くらい持って帰ってきたんちゃうかな。
 
 でも、エロ雑誌を持ってたのは見つかったけどね。それはバレた(笑)。
 
(『どんな男になんねん 関西学院大アメリカンフットボール部 鳥内流「人の育て方」』より)

 

 鳥内節の魅力は、ユーモアに隠れがちではあるが、書き始めると、この本のエッセンスは学生の成長を促すための「教育論」にあることが明確になってきた。

 自覚を促すための、一対一の面談。

 そして、学生の成長のために、指導者が常に勉強しなければならないこと。

 監督は「勉強」の人だった。

 ただし、構成には苦労した。

 テープ起こしを読み直すと、初回に話を聞いたことが、2か月経って、また違った視点で語られたりする。

 これは、ひとつのエピソードとしてまとめなければ、読者に不親切となる。

 つまり、即興劇を台本として整理する必要があった。

 これはなかなか、難しい(ヤクルトの新監督になった高津臣吾氏の『二軍監督の仕事』で同じような作業をしていたのが生きたのだが)。

 私のこれまでの仕事でいうと、『エディー・ジョーンズとの対話』を書いた時は、取材セッションごとに「芸術」、「歴史」、「経済」といったようにテーマを決め、エディーさんにはそれに沿って話してもらった。原稿をまとめるときも、テーマごとに書いていけばいいので執筆のスピードは上がる。

 鳥内節の再構成は頭脳が試される。私の頭のなかで設計図が何度か書き換えられ、最終的には小見出しに、監督の印象的なひと言を立てることを思いついた。

 当初の出版予定は、11月だったか。今となっては覚えていないのだが、絶対に納得いくまで書くと腹をくくった。その分、編集者には迷惑をかけた。時にはメールを無視して書き進めた。

 脱稿したのは、ラグビーW杯で日本が南アフリカに敗れた翌日、10月21日のことである。W杯期間中の原稿の生産量を考えると、よくぞ本の執筆が出来たものだと思う(体のある部分に、異常が出たが)。

 11月10日、私は関西学院対立命館のリーグ戦最終戦の中継ゲスト解説で大阪に向かったが、この試合は立命館が見事な戦術を披露し、立命館が勝った。

 試合終了後、監督は私の顔を見つけると、

「書くの、遅いねん。本が出とれば学生たちに『これ、読んどき』と言って楽できたのに、えらい手間やったで」

 と話しかけてきた。

 数々の“名作”の舞台となった万博記念競技場のフィールドをふたりで歩きながら、鳥内監督はこう言ってくれた。

「でも、よう書いてくれた。おつかれさん。これ、全国のスポーツの指導者に読んでもらえたらええな」

 胸にこみあげるものがあった。

 最後に、この本の出版にあたり、尽力していただいた方々に感謝を捧げます。

関西学院大学
鳥内秀晃
小野 宏
花房政寿
島野和弘
ベースボールマガジン社の皆さん

 私にとって、忘れられない仕事になりました。

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どんな男になんねん
関西学院大アメリカンフットボール部
鳥内流「人の育て方」
鳥内秀晃 / 著

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