close

2020-10-16

【連載 名力士ライバル列伝】横綱初代若乃花編 最大の壁、横綱千代の山雅信

千代の山とは昭和32年初場所12日目にも水入りの死闘。二番後取り直しの末に、今度は千代の山が寄り切って意地を見せた

全ての画像を見る
同じ小柄で常に目標だった栃錦。
何度も激闘を繰り広げた千代の山……。
「土俵の鬼」若乃花が
角界のスターとして輝いたのは
彼ら好敵手たちの存在があってこそだ。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

幾度となく死闘を展開した
名門出羽海の名横綱

「行司、止めてくれ!」。初めは興奮渦巻いていた館内に、悲痛な叫び声が響いた。昭和30(1955)年秋場所11日目、9勝1敗で並ぶ千代の山と若乃花(当時若ノ花)の対決。2度の水入りで二番後取り直しとなっても、右四つに組んだ両者の激闘は延々と続いた。計17分に及んだ取組が引き分けに終わったとき、土俵上は2人の流した大量の汗で、泥のように変わっていたという。

 2度目の顔合わせ(昭和26年夏)で早くも水入りの大相撲を演じ、以降も幾度となく長時間の熱闘を繰り広げた両者。その最たるものが、この30年秋の一戦だ。横綱返上まで思い詰めた不振を乗り越え、この年初・春連覇と復活を遂げた、名門出羽海を背負う千代の山。若乃花もまた、大関昇進が懸かる上に場所前に父を亡くし、室蘭の一家を呼び寄せて支えなればならない身となっていた。そんな両者の意地のぶつかり合いが、歴史に残る死闘となった。

 若乃花は左四つだが、右ワキの堅い千代の山攻略のために右差しを研究。昭和28年初場所には、猛突っ張りをかいくぐり右四つに食い止めると、最後は左上手投げ。以降は千代の山得意の右四つでも堂々わたり合えるようになった。このころから伝家の宝刀、右からの呼び戻しが増えるのも、先輩横綱対策の副産物だろう。それでも昭和32年初場所には、再び二番後取り直しを演じ、今度は千代の山が寄り切って勝利。通算は千代の山が7つ上回る15勝、ラストも3連勝。若乃花にとって、名門の先輩横綱は最後まで最大の壁であり続けた。

『名力士風雲録』第6号若乃花掲載 
タグ:

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事