相撲と同じように日本の古き良き伝統を受け継ぐ歌舞伎の世界でも、『芸』というものは伝わりにくいものだという。しかし、家元、振付師、ご意見番、そして目の肥えたファンが大勢おり、質を落とさぬ『芸の伝承』体制がきちんとできている。つまり、大勢の人間がそれらの芸に一家言を持っており、「上には上がある」という謙虚な役者意識が、彼らの緊張感を高めているのである。

※写真上=その土俵入りで観衆、好角家を魅了した第36代横綱羽黒山
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

横綱という番付が勘違いさせるもの

 ところが、相撲界の大看板である横綱の土俵入り『芸』については、残念ながら、これがきちんと伝わっているとは言いづらい。手順は同じようでも、近年、自己流になりすぎているのではあるまいか。先人横綱の芸を勉強することもなく、これが俺の土俵入りだ、どうだ、すごいだろう、と現在の「横綱」という名にあぐらをかいている気がしてならない。上に名優、大俳優がひしめく歌舞伎界と違って、横綱は相撲界における番付最高位者という認識が、そうさせるのに違いない。

 しかし、いくら強くとも彼らは相撲を取ってたかだか十数年の力士。相撲ぶりについてはともかく、風格や土俵入り芸については長年立派な横綱を見続けてきた親方衆、歴代の土俵入りを見詰めてきた熱心なファンの見識、鑑賞眼に及ぶべくもないのではあるまいか。

相撲の奥義・土俵入りにも振付と演出の知恵が必要…

 ファンが胸をときめかせる横綱の土俵入りとはどんなものか。

 昭和10~20年代、立浪部屋に羽黒山という横綱がいた。昭和に現在でいう不知火型(一名太刀山型)を復活させた大横綱で、力感にあふれたその土俵入りはダイナミックで美しく、人々の胸をときめかさずにはおかなかった。

 演じる仕草の男性的美しさ、見事なまでのせり上がりの演出――当時辛口で有名だったアナウンサーをして「今まで見てきた中で一番素晴らしい土俵入り。それと比べると後輩の横綱(美男ぶりと華麗な土俵入りで有名だった)のそれは単なる体操でしかない」とまで言わしめた。

 露払いを務めた大岩山という力士は「同じ土俵上で蹲踞していて、そのあまりの美しさに見とれて陶然とすることがしばしばだった」と証言している。

 時代は下って、元横綱栃錦の春日野理事長が、立ち合いの講習会を行った際、羽黒山のせり上がりシーンの映画を参考に見せたところ、怒涛の波がうねり込むような迫力に並み居る関取衆の口から一斉に「ホーッ!」というため息が漏れたことを、取材中だった私は感動的に覚えている。

 失礼ながら、今の横綱の両手を広げた最下段の構えは低過ぎ、時間が長過ぎ(こんな構えを日本ではへっぴり腰という)。やっている本人は気持ちがいいかもしれないが、見ている方はかっこよさを感じない。

 では、その迫力芸、現在の横綱とどこが違うのか。それは、ズバリ、最初の四股踏みからせり上がりまでのもっていきかたである。羽黒山は大きな落差をつけて上体をドオゥーッ!と前になだれ込ませると、次の瞬間グイッと胸を張って上半身を屹立させ、そこを起点としてたくましく上段までせり上がり、大向うの熱い視線に応えたのである(それにしてもこの見事な腰の深い割れ方はどうだ!)。人々は息をのんで羽黒山の至芸を見守るのみであった。

※実は私は、現在相撲博物館の正面玄関に飾られている山口伊之助の木像「羽黒山」の奇跡の“一体”こそ、このコーナーにふさわしい名品(羽黒山のせり上がりの魅力・秘訣をいかんなく表している点ではこれに勝るものはない)と考えていることを、申し添えておきます。

語り部=月刊『相撲』元編集長・下家義久

月刊『相撲』平成26年8月号掲載

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