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2021-01-20

【アメフト】チャック・ミルズさん死去、92歳 日本のフットボールに多大な貢献

第70回甲子園ボウルで、RB西村七斗にミルズ杯を自ら授与したチャック・ミルズさん=2015年12月13日 撮影:佐藤誠

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日本のアメリカンフットボールの発展に多大な貢献をした、元ユタ州立大学ヘッドコーチのチャック・ミルズさんが1月18日、米国で亡くなった。関西学生アメリカンフットボール連盟が明らかにした。92歳だった。

ミルズさんは1928年12月、イリノイ州シカゴに生まれた。イリノイ州立大学を卒業後、フットボールコーチの道を選び、ハイスクール、ジュニアカレッジ、NCAADiv.Ⅲの大学と、コーチするチームのランクを少しずつ上げた。

1965年にアリゾナ大学、66年にはAFLのカンザスシティー・チーフスのアシスタントを1年ずつ経験した。チーフスでは、NFL-AFL選手権(後に第1回スーパーボウルとして認定)にも進出した経験を持つ。
1967年にDiv.1のユタ州立大のヘッドコーチに37歳で就任、6シーズンで38勝23敗1分という好成績を残す。特に1971,72の両年は8勝3敗の好成績だった。

71年にはユタ州立大を率いて来日、2試合を行った。単独の大学チームとしては初の来日だったという。

社会人チームがなかった時代、日本は関東と関西で学生選抜チームを編成し、「全日本」として対戦したが、東京・代々木の国立競技場に3万人を集めた関東学生選抜戦は6-50、甲子園球場に2万人を集めた関西学生選抜戦は6-45と、いずれも完敗。日本の関係者に衝撃を与えたという。

ミルズさんは手腕を買われて、73年からはウェイクフォレスト大のHCに転身。同大を率いて2年目の74年に、再び日本へ遠征、学生選抜チームと2試合を戦って完勝した。

ミルズさんが両大を率いて来日したことが、NCAAの東西学生オールスター戦「ジャパンボウル」や、NCAAの公式戦「パイオニアボウル」(後のミラージュボウル、コカ・コーラボウル)にもつながった。

ミルズさんは、来日中、試合だけでなく、合同練習やコーチクリニックを行った。戦略面、戦術面だけでなく、テーピングやスポーツドリンクといった、選手を支える装備から、メンタルトレーニングに至るまで、米国の最新の成果ももたらされたという。

ミルズさんの功績を称え、学生アメリカンフットボールの年間最優秀選手に贈られる「チャック・ミルズ杯」が1974年に創設された。

ミルズさんがNCAA Div.1の大学HCだったのは1960~70年代の11シーズンだったが、その後も長く日本のフットボール界と交流を続け、日本人のコーチ留学を引き受けたり、来日してのクリニックを行った。

2015年には甲子園ボウルの第70回記念大会に来日、ミルズ杯に選ばれた立命館大学パンサーズのRB西村七斗に、自らトロフィーを手渡した。2018年には日本アメリカンフットボールの殿堂入りを果たした。

 第70回甲子園ボウルの試合前にフットボールレジェンドとともに甲子園のグラウンドを行進するチャック・ミルズさん(右から4人目)=2015年12月13日、撮影:佐藤誠
 第70回甲子園ボウルの試合前にフットボールレジェンドとともに甲子園のグラウンドを行進するチャック・ミルズさん(右から4人目)=2015年12月13日、撮影:佐藤誠

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