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2021-06-04

【プロレス】ブルーザー・ブロディが新日本タッグリーグをドタキャン…前田日明「週1万ドルのギャラを取り、わがままを言うようなレスラーはいらない」1986年11月20日

トラブルメーカーのブルーザー・ブロディ

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 1986年11月20日、新日本プロレスは会見をおこない、ブルーザー・ブロディが来日を拒否したことを発表した。

 新日本の年末タッグリーグ戦は3年連続のトラブル。1984年はMSGタッグに参戦予定だったダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスの全日本プロレス電撃移籍&超目玉商品だったハルク・ホーガンの第1戦負傷即帰国事件。1985年はブロディ&ジミー・スヌーカの優勝決定戦放棄。そして、1986年はブロディの来日拒否…。

 本来であれば、ブロディは11・21新潟大会から「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」にスヌーカとのコンビで出場予定だった。しかし、ブロディから新日本側に「連絡を取りたい」と一報が入ったのが18日の朝。翌19日、新日本側がブロディに電話を入れると「弁護士と相談したが、契約を破棄する」と一方的に通告されたという。

 ダラスのフリッツ・フォン・エリックに仲介役を頼み事態の好転を図ったものの、状況は変わらずに新日本側はブロディ来日を断念。直接交渉にあたった新日本・杉田豊久渉外担当は「今年9月の契約時にはお互いとことん話し合い、その結果は極めて良好だったのに」と語った。

 新日本としてはドン・中矢・ニールセン戦で一気に株を上げた前田日明とブロディの一戦をシリーズのハイライトにしていた。それが消滅…。

 この一件に関して、当時の前田はこんなことを語っていた。

「ブロディは新日本側の最後の刺客というふうに解釈していたので、気合は入っていたんだが…。しかし、週1万ドルのギャラを取り、しかも、わがままを言うようなレスラーはもう日本マットにはいらないよ。むしろ、初期のスタン・ハンセンのように日本向きの無名外国人レスラーを発掘して、日本に連れて来た方がいい。莫大なギャランティーはもっと日本人レスラーに還元すべきですよ」

 ブロディ&スヌーカ組の代役として越中詩郎&高田伸彦(当時)の新日本&UWF越境コンビがタッグリーグ戦に緊急出場。外国人天国だった日本マット界が変革を迫られた大事件だった。

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