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2021-06-11

【連載 名力士ライバル列伝】旭國が語る「我が心のライバルたち」後編

不屈の闘魂で大関を21場所も務め上げた旭國

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無類の闘志と卓越した技で、多士済々の時代を生き抜いた名力士たち。
元三重ノ海の石山五郎氏、元旭國の太田武雄氏、元増位山の澤田昇氏に、名勝負の記憶とともに、しのぎを削った男たちとの思い出を聞いた。

体の小さい力士は、勝つために何でもやらなければいけない

「相撲博士」という異名をもらいましたが、小柄なだけに、先に上手を取られたら勝てないという考えが常に頭にありました。要するに、相手につかまらないために、できることは全部する。例えば、隆の里には初顔から4連勝で負けなしでしたが、彼は廻しをつかんだらものすごいパワーを発揮しますが、つかませなければ、力は3分の1も出ない。だから、頭を付け、腰を振って上手を取らせずに、下手から捻ったり、掬い投げから切り返したりと揺さぶるのが効果的でした。

ジェシー(高見山)には蹴手繰りを6回? そんなにやってましたか(笑)。あの巨体ですから、真っ向から行ってつかまえられたら、つぶされてしまいますからね。とはいえ、あらかじめ蹴手繰りにいこうと考えて土俵に上がるわけではありません。何が何でも勝ちたいという思いから、とっさに出る技でしたね。

とにかく、体の小さい力士は、勝つために何でもやらなければいけない。ケンカ四つの相手に右を差されたところを、そのまま抱えてのとったりも、よくやりました。しかし、そうした技ばかりに頼っていては強くはなれない。私の場合は、やはり右で前ミツを取り、前に出る相撲を覚えてから強くなりましたね。これもケガの功名で、稽古で若ノ海さんに腕を思い切り振られ痛めた影響で、左がまったく使えない時期があったんですが、そこで右から廻しを取りにいくうちに、右から踏み込んで腰を入れ、前ミツをグッと持ち上げて出ていく相撲に変わっていったんですよ。

北の富士さん、輪島、北の湖と、その右前ミツを引いて出る相撲で破りましたが、やはり、横綱に勝つというのは最高の名誉であり、相撲を取っていて良かったなと思えた瞬間でした。だって、幕内に上がって横綱と顔を合わせられるだけでもすごいこと。ましてや、私は検査をずっと通らないようなところからスタートしているんですからね。横綱と戦えることほど、幸せなことはありませんでした。

とはいえ、「輪湖」には優勝を阻まれた悔しい敗戦もありました。昭和51(1976)年春場所は、輪島に本割、決定戦と連敗。輪島は右からの強烈なおっつけ、絞りで、下から相手の上体を浮かせるのがうまく、学生相撲出身の独特の技術の高さがありましたね。北の湖には、52年秋場所14日目、全勝同士の対戦で敗れました。両前廻しを取って頭を付けるいい体勢に持ち込みながら、廻しが緩くて伸びてしまい、そこをおっつけられて寄り切られた。せっかく取った廻しが伸びてしまうと、やはり体の小さい者にとっては不利になりますよ。

最後は三重ノ海との一番でケガをして引退になりますが、年齢的に、もう無理かなというのはありました。普段、仲がいいことと土俵とは関係ない。逆に仲がいいからこそ、より負けたくないという気持ちが出る。それは、三重ノ海も貴ノ花も同じだったと思いますよ。もし、持病がなかったらですか? もっと体を作れていたでしょうし、もう一段上に上がれた可能性はあったと自分では思う。それでも、あきらめなかったからこそ大関まで来ることができたし、いまの力士たちにも、体が小さくても、あきらめずに取り続ければ強くなれるんだ、ということは伝えたいですね。(元大関旭國=太田武雄氏)

旭國16勝-20勝三重ノ海

『名力士風雲録』第17号三重ノ海 魁傑 旭國 増位山掲載


三重ノ海、貴ノ花とは普段は「手の合う」仲だが、土俵上では闘志前面。昭和51年夏場所からは3年余り、大関の地位でしのぎを削った
三重ノ海、貴ノ花とは普段は「手の合う」仲だが、土俵上では闘志前面。
昭和51年夏場所からは3年余り、大関の地位でしのぎを削った

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