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2021-09-12

【ボクシング】無念の敗北で寄り添った父子の思い。赤井英和、英五郎

試合後の対面。父・赤井英和(右)は息子の無念を思いやる

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 現実は厳しかった――。11日、東京・後楽園ホールで行われた東日本新人王準々決勝ミドル級4回戦、赤井英五郎(帝拳=26歳)のプロデビュー戦は、同じくデビュー戦の岡村弥徳(八王子中屋=23歳)に1ラウンドTKO負け。“浪速のロッキー”と呼ばれた1980年代の人気ボクサーで俳優の赤井英和さん(62歳)の長男として注目を集めるなか、迎えた初陣は、わずか144秒で終わった。

持ち味ひとつ出せぬままに

「最初から細かいパンチをもらいすぎてましたね。英五郎の持ってる良いところが出る前に細かいパンチを先手、先手で当てられてたんが敗因になったと思います」

 試合後の父の言葉が的確に内容を表していた。先手を取られ、態勢が整わないままの散発的な反撃も、相手のリズムにのみ込まれた。左フックで腰を落とし、連打にさらされ、レフェリーが試合を止めた。息子が振り返る。

「ガードを意識して練習してたんですけど、そこからオフェンスにつなげないと勝てないので。ミドル級だと(パンチをもらうと)早く終わってしまう。守りのことばっかり考えすぎちゃったかもしれないですね……」

 コツコツとでも、パンチをもらえば、どうしても課題のガードに意識が向いてしまう。「とにかく前に行って、思いきりぶん殴りに行く」と臨んだリングで、最大の強みである攻撃力を発揮できないままの敗戦だった。

 息子は声を絞り出した。

「やりたいこともできなかったし、なんか一瞬で……。まだちょっと、現実味がない……」

 父はうつむき加減で何度も繰り返した。

「せっかく持ってる力を出しきることができなくて、非常に気の毒に、かわいそうに思います」

「結果は仕方ないことやな、と思います。ええところが出せてなかったのが、非常に残念で、かわいそうに思います」

 息子がせっかく持ってる力、ええところは体で知っていた。

「ミットも持ったことあるし、サンドバッグも持ってるけども、ズシンと入った(パンチの)重さが全然ね、他の選手とは違う重さ、強さを持ってる選手ですから」

「自分は帝拳の先生にお願いして、練習は見てません」と言いながら、「マイク・タイソンみたいに頭を振りながら、ウィービング、ダッキングしながら、どんどんどんどん前に出るスタイルというのも勉強したらいいのにな、とは思いますけどね」と続け、抑えきれない無念と伝えたい思いがあふれた。

「じっとしてるところにリードパンチもろうて、右ストレートもらったりしてましたから。もっと頭振って、ブロックしたり、パーリングしたりしながら、よけて返す、よけて返す、返す、返す、返すというような……。ちょっと、まあ、教えていきたいと思います」

 試合直後、別々に開かれた会見。先に取材エリアに来てくれた父は、まだ息子の顔も見ていなかったし、声もかけていなかった。

「何が一番大切かと言ったら、ボクシングは気持ちが大切なんです。その気持ちは強い男ですから、今はすごくヘコんどるやろうけども、ゆっくり休ませて、また明日に向かって立ってくれたらええな、と思います」

 会見を終え、立ち上がると、ちょうど階下から息子が上がってきた。歩み寄り、静かに語りかけた。

 うつむく息子の顔をのぞき込むように目を見つめて、今度は耳元で、また手振りを交えて。最後はしっかり抱き寄せ、息子も父の背中に手をまわし、親子は固く抱擁した。

「あんまり、お互いに関われることってなかったので。小っちゃいときから」
 
前日のオンライン会見の英五郎の言葉が思い出された。
懸命の攻め。しかし。最初にリズムをつかまれ、英五郎は敗勢を抜け出せない
懸命の攻め。しかし。最初にリズムをつかまれ、英五郎は敗勢を抜け出せない

高校生で初めてボクシングを意識した息子

「父親は何かしら(息子と)つながりたいというか、父親っぽいことをしてみたいんだけど、わからないみたいな」

 二十歳のとき、留学先のアメリカで初めてグローブを握った。ハワイで高校2年生を迎え、進路を考え始める時期になったとき、周りは「ただ、大学に行くのが目的じゃなく、たとえば医者になるとか、起業するとか、先を見据えた上で教育を受けに行く意識の高い人が多かった」が、自分の将来を描いてみても何も浮かんでこなかった。

「自分は何になりたいんだろう、何がしたいんだろうって。絶対にみんながぶつかる壁だと思うんですけど」

 小、中学時代はラグビー、高校ではアメリカンフットボールに打ち込んでいたのだという。あえて避けていたのかは語らなかったが、ようやくボクシングと向き合ったということだったのだろうか。

「勉強とか、仕事の経験は歳を重ねてからでもできると思ったし、けど、体はウソをつかないから。ボクシングは父親がボクサーだったこともあって、別に好きとか、嫌いじゃなく、自分の可能性はやってみないと確認できないことだし、まずやってみようっていうところから始めました」

 やがて、東京オリンピックを目指し、2018年の全日本社会人選手権は3連続RSC(レフェリーストップ・コンテスト)勝ちで制したものの、代表候補の選考を兼ねた2019年の全日本選手権は2回戦、ベスト8で敗退。夢は絶たれた。それでも今年、今度はプロのリングで自分の可能性に挑み続けることを決めた。
連打を浴び続ける英五郎にレフェリーのストップが入った
連打を浴び続ける英五郎にレフェリーのストップが入った

敗北の中でつながった父と子の心と心

「まさかボクシング自体、やるとは思ってませんでしたから」と振り返った英和さんだったが、その嬉しさは言葉にはしなくとも伝わってきたという。
「ようやく何かつながるもの、共感できるものができて、父親は嬉しいから、今まで慣れてない(親子の)会話というものをしてる感じでしたね(笑)」

 ただし、会話は「キャッチボール」にならないのだという。

「アマチュアデビューしたときから言っていることが何も変わらないですね。自分の言いたい話しかしないし、僕の話を聞いているのかな、と。僕は聞き流してますね(笑)」

 英五郎は苦笑していた。不器用な父親の姿は会見からも垣間見えたような気がした。そんな父は「誰よりもショックを受けているのは本人」と気遣った息子に何を伝えたか。

「試合を見返して、もう1回、ちゃんと1から練習して、頑張っていこうねっていうことを」

 試合を見返すこと、目を背けずに厳しい現実を受け止めること、今の自分をしっかり見つめること。それが明日への第一歩になるということか。リングの厳しさを知る父は自身の会見の最後、こう話していた。

「今日の試合も自分のキャリアにして、ちゃんと反省もしながら、いろいろと考え直しなさい、ということを伝えたいです」

 有名な父を持ち、その父と同じ世界に飛び込むことを決めた息子のプレッシャーの大きさはどれほどのものなのか。報道陣から「あと20連勝したらええ」との父の言葉を伝え聞いて、ようやく少し表情が明るくなった。

「あ、お父さんが? 20連勝? それは聞いてないです(笑)。聞いてないですけど、もう結果は結果、過ぎたことは仕方ない。僕だけが続けたいと言って、続けられる世界じゃないし、僕ひとりで戦ってるわけじゃないから、ちゃんとコーチ(小山和博トレーナー)と話し合いながら、もうちょっと頑張りたいです」

 間違いないのは、ボクシングが親子をつないだことかもしれない。
父は息子をそっと抱きしめ、その無念を分かち合った
父は息子をそっと抱きしめ、その無念を分かち合った

文◎船橋真二郎 写真◎小河原友信、宮崎正博、船橋真二郎

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