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2021-11-08

藤波辰巳ドラゴンブームの中“敵前逃亡事件”発生! 元WWEの名優が評した「最高の日本人レスラーはフジナミ」【週刊プロレス】

WWWFジュニア王者の藤波辰巳

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 1978年2月、藤波辰爾は当時全米3大団体の一つであるWWWF(当時)のジュニアヘビー級ベルトを土産に凱旋帰国。新日本プロレスにドラゴンブームが巻き起こした。

 日本での同王座初防衛戦は凱旋シリーズ最終戦(3月30日、東京・蔵前国技館)で予定されていた。挑戦者はカネック。しかし流れている。あの有名な“敵前逃亡事件”が起ったからだ。

 結果、翌シリーズの4月24日、愛知県体育館でコロソ・コロセッティを相手に日本は防衛戦がおこなわれた。その後、日本で挑戦を受けた相手は、剛竜馬、チャボ・ゲレロ、剛、ペロ・アグアヨ、カネック、シーン・リーガンと続く。その間、アメリカ、メキシコでも防衛を重ねていく。

 翌1979年10月2日、大阪府立体育会館で剛に敗れて1度は王座から転落するものの2日後に奪回。最終的にヘビー級に転向して王座を返上するまで通算52回の防衛を記録した。

 剛だけでなく同門の木村健吾(当時)、星野勘太郎、国際プロレスの阿修羅・原など、日本人相手にも防衛を果たし、スティーブ・ライト、レイ・メンドーサ、エル・ソリタリオ、トニー・ロコ、ジョニー・ロッズ、グレッグ・バレンタイン、ダイナマイト・キッド、スティーブ・カーン、キース・ハート、ロン・スター、レス・ソントン、トム・プリチャード、スタン・レーンなど挑戦者の顔触れは多彩だ。ジュニアヘビー級時代の対戦相手の印象は?

「海外にも道場がたくさんあった時代だし、ただ単に腕っぷしとかだけじゃなくて、ベースがしっかりした選手が多かったね。だから試合してても楽しい。僕はアメリカでもフロリダとかノースカロライナとかいろんなところを回ったし、ヨーロッパやメキシコでもいろんな選手と闘ってきた。

 外国人選手が日本に来たら、そこに僕がいるってことで安心感もあったんじゃないかな。日本に来た選手が試合前に控室に張り出されたその日の取り組み(カード)を見て、僕と誰が当たるかを注目してたって」

 ちなみに対戦相手の藤波への評価も高く、スティーブ・カーンは自身のキャリアにおける印象に残ってる試合として、1980年2月1日、北海道・札幌中島スポーツセンターでの一戦を挙げた。カーンが保持するNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座も懸けたダブルタイトル戦。2-0のストレートで藤波が勝利、ジュニア2冠王となった試合。カーンとしては「フジナミとは余計なことは考えず、互いに持てるテクニックをぶつけ合えた。負けてしまったけど、充実した闘いだった」と振り返った。

 それだけでなくカーンは、「日本人で最高のレスラー? フジナミだよ。アントニオ・イノキはどこへ行っても自分の闘いをする。だけどフジナミは、日本でなら日本、フロリダへ来ればフロリダ、ニューヨークへ行けばニューヨーク、メキシコへ行けばメキシコ、それぞれのファンが望む闘いができる」と評している。

(つづく)

橋爪哲也

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