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2021-11-03

「初対決でミル・マスカラスにひと泡吹かせてやろうと挑んだが…」藤波辰爾が語る海外武者修行時代<5>【週刊プロレス】

1979年8月26日の夢のオールスター戦で藤波辰巳はミル・マスカラス、ジャンボ鶴田とトリオを結成

 ミッドアトランティック地区サーキットが武者修行の第三段階とすれば、第四段階となったのがメキシコ。結果的に藤波辰爾は、ヨーロッパ、アメリカ、そしてメキシコのルチャ・リブレを体得することになった。

 メキシコでのライバルとしてはカネックが挙げられるが、一方で“仮面貴族”ミル・マスカラスとも対戦している。マスカラスが全日本プロレスを主戦場にしたため日本マットでは接点は少なく、両者の全盛期においては「8・26夢のオールスター戦」でジャンボ鶴田を含めてトリオを組んでトリプルドロップキックを放ったシーンが思い浮かぶ程度。一昨年10月、ドラディションにマスカラスを招へいし、“夢の続き”実現した。藤波にとってマスカラスはどのような存在だったのだろうか……。
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 ミッドアトランティック地区を転戦したのちメキシコ入り。ミル・マスカラスとも対戦している(1977年4月14日=現地時間、アレナ・トールカ、マスカラス、アニバル、ドクトル・ワグナー組vsセサール・バレンチノ、アンヘル・ブランカ、ドクトル・フヒナミ組)。

「最初にマスカラスを見たのは日本プロレス時代。当時は新日本プロレスも全日本プロレスもなくて、日本プロレスのほかには国際プロレスがあったかな。その時に初来日のマスカラスを見て。それが最初の接点で。

 当然、(マスカラスには)外国人担当の人がついてて。僕は猪木さんの付き人だから猪木さんの周りにばっかりいたんだけど。それから何年かたって海外遠征に出た時に、ドイツ、アメリカ回ってメキシコに入ったときに、まずメキシコで彼と対戦したんですよね、6人タッグで。

 自分は修行中の身で、ひと泡吹かせようと思ったんだけど、どっかに初来日の時のマスカラスがあるもんだから、“これがマスカラスか……”っていう感じでね(試合は2-1でマスカラス組の勝利。決勝ラウンドで藤波が放った逆水平がバレンチノに誤爆して仲間割れ。この一戦で藤波はリンピオに転向して、リングネームもリング・フヒナミに変更している)。

 ひと泡吹かせようと思ったところが、蛇ににらまれたカエルのようだったという。

「とにかくマスカラスは、メキシコでもエル・サントに次ぐ英雄で。こっちもある部分では組み負けしないようにしっかり組むんだけど、でもどっかにフワッと力が抜けてるような微妙な感覚があったね」

 ちなみに初来日時のマスカラスを見た時の印象はこう振り返っている。

「マスカラスが初来日した時(1971年)、僕がちょうど入門した年なんです(正確には入門した翌年。藤波はまだデビューしていない練習生だった)。その頃からどっちかというとファンでしたね。僕は猪木さんの付き人でコーナーにいたんだけど、対戦相手のコーナーからマスカラスが姿を現すと、もうクギ付けだった。

 まだ今のようにいろんな動きは見えないんだけど、とにかく華があるんですね。マスクのかっこよさと身のこなしの華麗さ。もう、我を忘れましたね。それにあの鍛え上げられた肉体。あの頃からですね、ほかのレスラーたちも彼のような体つきを意識するようになっていったのは。あこがれましたよ」

 その頃すでにレジェンドの雰囲気を醸し出してたといっていい。

「マスカラスに限らないんだけど、レジェンドたちの試合ではあの空気感を味わってほしいですね。われわれよりも先輩の選手、例えば猪木さんとか、一瞬にして会場全体を自分に引きつけるっていうね。ただ単に名前のある選手っていうだけでなく、息遣いからしてムダがない。

 僕にとって猪木さんがそうなんですけど、猪木さんの動きから息遣いまでずっと見てきましたけど、今の選手にないものを持ってますね。僕らの立場で見るからそうなるのかもしれないけどね」

(つづく)

橋爪哲也

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