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2021-12-07

「私はほかの外国人のようにカネがすべてじゃない」“狂虎”タイガー・ジェット・シンが語ったアントニオ猪木<4>【週刊プロレス】

アントニオ猪木とタイガー・ジェット・シン

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 全日本プロレスに移籍したタイガー・ジェット・シン。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、輪島大士と闘ったものの、アントニオ猪木相手以上のインパクトは残せず。輪島の引退とともに次第にフェードアウト。しかし1990年9月、新日本プロレスに復帰した。それも“宿敵”猪木と組むというインクレディブルタッグだった。※2010年5月、アントニオ猪木50周年を記念して出版された「A・猪木50years~上巻」より。

     ◇      ◇      ◇

――タッグといえば、猪木とも90年9月30日、横浜アリーナで一度限りのコンビを組んでいます。その時のことは覚えてますか?

シン イエス。外は台風で大変な日だった。あの日はジュニア(タイガー・アリ・シン)も一緒だった。ソールドアウトでヨコハマアリーナは超満員だった。初めてタッグを組んだけど、互いを理解できてとてもいいコンビネーションだったと思うし、大成功だった。あの時のイノキさんは政治家として長くリングを離れていたけど、グッドシェイプでいいコンディションをキープしていたので驚いた。日本で長く闘ってきたけど、思い出に残っている試合のひとつだ。

――新日本に復帰したものの、猪木との対戦は実現しませんでした。最後のチャンスは1992年1・4東京ドーム。しかし、直前に馳浩と巌流島で闘って敗れ、実現しませんでした。

シン ハセがいきなり私の自宅まで来て対戦を迫ってきたやつだな。なぜ誰もいないところで闘わなければいけないのか。あまりにも礼儀をわきまえないので池に落としてやった。その後、その島での闘いがどういうものなのかを知って、そういう歴史的な意味合いがあるのならと思ってOKした。あれでハセの名前も上がったんじゃないか。

――闘っていくうちに、猪木に対する印象は変わっていきましたか?

シン いや、変わらなかった。変える必要もなかった。今でもイノキのことはリスペクトしている。なぜかというと、私はほかの外国人のようにカネがすべてじゃないから。彼は決して私に尋ねることはなかったけど、私はイノキと真の友情で結ばれていると思っている。イノキは私にこう言った。「誤解しないように言っておく。日本人は決して後ろからナイフで刺すようなことはしない。刺すなら正面から刺す」って。そして私はこう言った。「私は決して背中を見せることはない。常に正面から向き合う」って。それが人間同士の自然な付き合いだ。もしイノキが将来的に私が強いコネクションを持っているインドやパキスタンでビジネスをするとなったとき、私の力が必要というなら協力する。

――先ほどたった一度のタッグ結成の話をしましたが、猪木との一番の思い出は何ですか?

シン オオッ!(苦笑)……たくさんありすぎてひとつには絞れない。大阪でのタフな試合、東京での試合、パキスタンでハイクラスピープルがみんな見に来た試合。どれも振り返ればいい思い出だ。

――引退して12年が経過したにもかかわらず、いまでも猪木は絶大な知名度を誇り、大衆に支持されています。その秘密は何だと思いますか?

シン 何よりレスリングに対してウソがなかったことだろう。ハードなトレーニングを積んで、テクニックを磨いてリングに上がっていた。時にはスキャンダルもあったけど。人の心を動かすのはハート。イノキのプロレスに対するハートがファンに伝わったからだと思う。

橋爪哲也

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