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2021-12-13

「必ずしもカネが幸せを運んでくるのではない」タイガー・ジェット・シンが語った“狂虎の深層”<4>【週刊プロレス】

タイガー・ジェット・シンにアームブリーカーを決めるアントニオ猪木

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 アントニオ猪木夫妻“新宿伊勢丹事件”で史上最大のヒールとして名が知れ渡ったタイガー・ジェット・シン。話は、そんな狂虎がプロレス人生を通じて心掛けてきたこと、人生訓にまで及んでいった。

――綱渡りだった“新宿伊勢丹事件”。何か一つでも運に見放されていると大変なことになっていましたね。

シン 何ごとにも成功するには運が必要だ。それはレスラーに限らない。あらゆるスポーツでもそうだし、ビジネスでもそうだ。だけど、すべての人間に幸運が舞い込むわけじゃない。普段からハードワークをこなして、誠実に過ごしているからこそ、幸運が舞い込むんだ。

――日本での知名度が増す一方で、カナダでのプロレス活動は縮小していきましたよね。

シン ビッグショーだけには出ることもあったが、スモールショーは出ないようにした。ニュージャパンでイノキというビッグネームと闘ってナンバーワン・ガイジンになったのに、少ない観客の前で試合するとイメージダウンになる。自分の価値を守るためにもそうした。

――多くの外国人レスラーが日本のリングで闘いましたが、あなたこそ最大の成功者だと思います。

シン 確かに今の時点ではそうかもしれない。だけど、私の力でそうなったわけじゃない。神のご加護があったから。それは神に感謝している。そして、私が常に100%の努力をしてきたから。リング内では100%のパフォーマンスを見せるように心掛けてきたし、リングを下りても自分のイメージを徹底して貫いた。その積み重ねが今の私につながっている。しかし、どんなに成功しても死んだら何も持っていくことはできない。お金も、家も、家族も。人間は生まれてくる時、手に何も持っていなかった。死ぬ時も、その手に何かを握っていくことはできない。それは誰しも同じだ。

――では、何をもって成功と考えますか?

シン 成功というのは他人が評価することだが、一つ挙げるなら、私の名を冠した学校(タイガー・ジェット・シン・パブリックスクール)がオープンしたことだ。これは大変な名誉だ。シンでも私の名前は残るんだからな。ほかにそういうレスラーはいないのだから、なおさらだ。カナダに着いたとき6ドルしか持ってなかった男が、人を騙すことになく誠実に生きてきた結果だと思う。確かに生きていく上でカネは必要だ。だが、カネを持っているからといって幸せにはならないし、カネを使ったからといって幸せになるわけでもない。助けが必要な人のためにカネを使って、彼らの笑顔を見るのが幸せだ。100ドル手に入れたら次は200ドルが欲しくなる。200ドルを手に入れたら400ドルが欲しくなる。でも、死んだらそれを持っていくことはできない。

――ほかにあなたが心掛けていることは?

シン 家族を大切にすること。最後に助けてくれるのは家族だ。私は今でも毎週土曜になると3人の息子とその家族全員が集まって夕食を共にする。みんなが集まれば、いろいろと話もする。学校のことだったり、家庭のことだったし、仕事のことだったり。孫たちに学校であったことを話してもらってコミュニケーションを取っていれば、それぞれの今の状況がわかるし、何が必要ななのかもわかる。助け合うこともできる。

――なるほど。では最後に、あなたにとって日本のプロレスはどういう位置づけですか?

シン 私の人生の一部だ。日本のファンはドラマを見ているのではなく、闘いを見ていた。WWEのようなものでなく、本当のレスリングを求めていた。日本で活躍するにはタフでないと務まらないし、日本で長くトップに立っていると大きなリスペクトを得られる。私は日本にファンがどのようなレスラーを好むかを理解して、そうなるように心掛けた。リングに上がれば敵しか見えてないが、私はその向こう側に日本のファンの姿を見て闘い、そのためにベストを尽くしてきた。

――もし猪木という最大のライバルに巡り会わなかったら、どうなっていたと思いますか?

シン 私はもっとも旅したレスラーだ。日本、インドはもちろん、オーストラリア、メキシコ、アフリカ、ヨーロッパ……。そして各地でトップの扱いを受けてきた。日本に行かなくてもトップレスラーとして闘ってきたと思う。だけど、今のようになっていたかはわからない。イノキのようなライバルがいたからこそ、今があるのかもしれないな。

橋爪哲也

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