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2022-01-24

10年目にして初めて打ち出した“旗揚げ記念”ノーTVで秘蔵っ子対決が組まれた裏側…新日本プロレス歴史街道50年<2>【週刊プロレス】

旗揚げメンバーの(左から)木戸修、アントニオ猪木、藤波辰巳が登場。旗揚げリングアナの大塚直樹営業部長が、特別に一日のみカムバックしてのコール

 新日本プロレスが「旗揚げ記念日」と題して大会を開催したのは2010年から。旗揚げと同じ3月6日開催だったからだが、会場は大田区総合体育館ではなく後楽園ホールだった。

 まだ当時は2000年代の暗黒時代から完全に脱しておらず、中規模会場ですら観客動員に苦戦していた。旗揚げの地で記念大会を開催したのは2014年。ヘビー級とジュニアヘビー級のIWGP王者対決がメインだった。新日プロが周年記念を初めて打ち出したのは10周年。しかし現在のように大会名に冠することはなく、ひっそりと旗揚げ10年目の日を迎えていた。

 旗揚げ後も定期的に大田区体育館で大会を開催してきた新日プロだが、旗揚げと同じ日に旗揚げの地に戻ってくるのは満10年を向かえる1982年が初めてだった。しかし特別に“記念大会”を掲げることはなし。「第5回MSGシリーズ」中の1大会として開催された。

 「MSGシリーズ」は“春の本場所”といわれるシングルリーグ戦。日本プロレスの「ワールド大リーグ戦」から続く最強を決める、「G1 CLIMAX」の原型ともいうべきシリーズだ。同大会では長州力vs谷津喜章、坂口征二vsドン・ムラコ、タイガー戸口vsマスクド・スーパースター、キラー・カーンvsラッシャー木村の公式戦4試合が組まれ、メインではアントニオ猪木&藤波辰爾&木戸修組vsディック・マードック&トニー・アトラス&デイビー・オハノン組が対戦している。

 このラインアップだけを見ると、記念カードらしさがうかがえるのは、旗揚げメンバーがトリオを結成しているメイン程度。だが、この日の目玉はセミファイナル、タイガーマスクvsグラン浜田だった。

 前年1981年11月5日、蔵前国技館に次いで2度目のシングル対決。初対決は浜田の場外プランチャをかわしたタイガーマスクがリング内に滑り込んでカウントアウト(リングアウト)勝ち。クリーン決着でなかったことから“10周年記念スペシャルシングルマッチ”として決着戦が組まれた。また、前年12月に藤波辰巳(当時)がヘビー級に転向していたこともあって、新日ジュニア第2世代の最強を決める一戦でもあった。

 タイガーマスクは前年4月にデビューして以来、四次元殺法でファンを魅了。TVで特集が組まれるほどの人気ぶり。実力的にも、年頭の元日決戦でダイナマイト・キッドを破ってWWFジュニアヘビー級王座を獲得して、無敗街道を驀進中。

 一方のグラン浜田は身長では入門基準に満たないながらも、柔道軽量級で日本代表候補までいった実力を見込まれて旗揚げ前に新日プロに入団、旗揚げ4戦目に生え抜き第1号としてデビュー。

 その後、メキシコに渡って外国人では初めて最優秀選手ととして表彰されるなど活躍。1979年2月には2階級目の獲得となったUWA世界ジュニアライトヘビー級のベルトを引っさげて凱旋。マリポーサ殺法と呼ばれる本格的なルチャ・リブレの空中技を日本に持ち込んだ。いわば四次元殺法の開拓者。

 浜田が同じく柔道の経験がある新間寿営業本部長が入門を許可した秘蔵っ子ともいえるレスラーなら、タイガーマスク(佐山聡)は猪木がタイガーマスクに変身させるならこの男しかいないと頭に浮かんだほどの天才レスラー。

 互いに負けられない注目の闘いの結果は、浜田の負傷によるレフェリーストップでタイガーマスクの勝利。それでも空中殺法の応酬となってさぞかし話題になったと思われるだろうが、同大会はノーTVで会場に足を運んだファン以外は雑誌で知るしかなかった。注目の一戦がノーTVだったのは、どのような結果になろうとも、互いに傷つけない配慮が働いていたのかもしれない。

 両者は翌1983年2月、札幌中島体育センターでタイガーマスクが保持する王座を懸けて対戦しているが、丸め込みでカウント3を聞いて雪辱ならず。さらにそれから13年後の1996年8月17日、UWFインターの神宮球場大会で4度目の激突。15分時間切れに終わり、浜田は虎戦士を討つことはできなかった。
(この項おわり)

橋爪哲也

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