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2022-01-29

1980年前後は藤波辰巳中心の新春黄金シリーズ…新日本プロレス歴史街道50年<5>【週刊プロレス】

藤波辰巳

 1978年に藤波辰巳がWWFジュニアヘビー級王者となって凱旋、スピーディーなファイトが人気となりドラゴンブームを巻き起こした。ジュニアヘビー級がシリーズの主役となったのが1980年の『新春黄金シリーズ』。記録から同シリーズとジュニア大戦争を振り返る。

 1978年3月にWWFジュニアヘビー級王者として凱旋帰国した藤波辰巳(当時)。途中、剛竜馬に2日間だけ王座を明け渡したものの防衛記録を伸ばし、1979年を終えた時点で通算防衛回数26のハイペース。ジュニア最強とうたわれ始めたことで、新日本プロレスはNWAとのジュニア2冠王ロードを企画した。

 当時NWAではオクラホマのプロモーター、レロイ・マクガーク氏が世界ジュニア王座を管理・運営していたが、私物化しているとの理由からフロリダのプロモーター、エディ・グラハム氏が中心になってもう一つのジュニア王座(NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級)を設立。1979年12月18日(現地時間)、フロリダ州タンパで行われた決定戦を制したのがスティーブ・カーンだった。

 ジュニアといえどもNWAとWWFの間では史上初となったダブルタイトル戦が1980年の『新春黄金シリーズ』中の2月1日、札幌中島スポーツセンターで行われ、藤波が2-0のストレート勝ちでジュニア2冠王に輝いた。ちなみにカーンはこの一戦を彼のプロレス人生のなかで最高の試合の一つに挙げている。

 藤波はシリーズ最終戦となった2月8日の東京体育館でカーンのリターンマッチを退け、その間の2月5日には愛知県体育館でダイナマイト・キッドの挑戦を受けてWWFジュニア王座を防衛。シリーズに3度のタイトルマッチを敢行。前回取り上げたキッドとスキップ・ヤングの挑戦者決定戦までおこなわれたのだから、藤波を中心に回っていたシリーズだった。
(つづく)

橋爪哲也

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