close

2022-01-28

新春黄金シリーズでWWFジュニア王座を巡って外国人戦争勃発…新日本プロレス歴史街道50年<4>【週刊プロレス】

ダイナマイト・キッドvsスキップ・ヤング

 新日本プロレス『新春黄金シリーズ』で印象に残っているのは1980年1月25日、岡山武道館からの生中継。藤波辰巳(当時)が保持するWWFジュニアヘビー級王座をめぐって外国人戦争が勃発したからだ。

 同シリーズにダイナマイト・キッドが新日マット初参戦を果たす。開幕前にWWFジュニア王座への挑戦が決まっていたのだが、そこにスキップ・ヤングが割り込んできた。

 ヤングは前年(1979年)8月10日(現地時間、以下同じ)、ロサンゼルスで藤波に挑戦して敗れている。雪辱を期すべく新日マットに乗り込んできたが挑戦権は与えられず。

 ロスでヤングの挑戦を受けた1週間後の8月17日、藤波はカナダ・カルガリーでキッドが保持していた英連邦ジュニアヘビー級とのダブルタイトル戦を行って両者リングアウトで引き分けており、その決着戦としてキッドに挑戦権が与えられたのだった。すんなり引き下がれないヤングは挑戦をアピール。そこで新日プロは一騎打ちを組んだ。

 フィニッシュ技はダイビング・ヘッドバット。今でこそ危険という理由から肩口にヒットさせることが多いが、王座挑戦に横ヤリを入れられたことが不服だったキッドは額を狙って急降下。

 キッドが勝利したが、勝ち名乗りを受けるキッドの額から一筋の血が流れ落ちていた。技を仕掛けた方が額から血を流し、無表情でレフェリーに手を上げられる。冷ややかな目で敗者を見下ろす姿が、キッドの怖さをさらに増幅。“剃刀ファイター”と形容されるようになったのもこのあとからだった。

 その後『新春黄金シリーズ』はジュニアヘビー級が主役のシリーズになっていく。
(つづく)

橋爪哲也

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事