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2022-02-10

19歳の船木優治が新生UWF移籍をリバプールで決断!「こんなに思い悩んだのは母の反対を押し切ってプロレスに入る前だけ」【週刊プロレス昔話】

リバプールに遠征中の船木優治を直撃

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 1989年3月10日、イギリス・リバプールにて新日本プロレスの船木優治(現・船木誠勝)が新生UWF移籍を決断した。

 新生UWFは前田日明、高田延彦らを中心に1988年5月12日に旗揚げ。絶大なファンの支持を集め、プロレス界に一大ムーブメントを巻き起こしていた。

 当時の船木は新日本の若手として1988年4月よりヨーロッパ遠征に出発。オットー・ワンツのCMAなどで活躍していた。船木は本誌のインタビューでUWF移籍を決めた理由について以下のように語っている。

「この1年間、いつもずっとUWFのことを考えていたので、ボクのこの気持ちは本物だと思う。特にこの1週間は、深刻に思い悩んだため下痢が止まらなかった。人生でこんなに思い悩んだのは、母の反対を押し切ってプロレスに入る前だけだった」

「UWFの魅力は、まずレスリングをしていることだと思う。ソ連との闘いのように、ただ勝つためのものではなく、プロの味が感じられる。だって遠慮なく、ガンガンいけるでしょう。あのお互いの信頼感が好きなんです」

「結局、人生は1回しかないので自分の思ったようにしてみたい。(3日後の3月13日で)20歳になるし、15歳から20歳まで新日本プロレスにいて、今は第二の人生を選択する時だと思う」

「新日本プロレスを去ると、いろいろな人に迷惑をかけると思うが、自分の人生の後悔だけはしたくない。自分は覚悟している。新日本プロレスが嫌いでイヤになったのではなく、自分の方向性と違っている会社にいるよりも自分の理想の方を選びたい。わがままかもしれないけど、自分はそうします」

「UWFで一番やってみたいのは高田さんです。自分が一番知っている先輩だし、まず高田さんと闘ってみたい。高田さんとは勝っても負けても、きっと“もう一度”って思えると思うんです」

 その後、新日本プロレスと新生UWFは船木の移籍について話し合い、円満移籍が決定。未来有望な20歳の若者が強い信念を持って、自らの理想に向かって走り始めた。

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